結婚後も同じ会社に勤めるのは何だか気が進まなくて、自宅近くの小さな会社に転職したのだが、この時に専門職から事務職へと職種も変えた。
未経験での応募だったが、簿記の資格を持っていたのが評価されたらしい。
「へー。事務職にしたんだ」
「まあ、その方が良いよね。子どもでもできたら、あんな仕事続けられないし」
転職する前に相談しておいたので、この件に関しては特に何も言われなかった。
ただし、いつも(楽な仕事で良いよね)というニュアンスのことを言われてはいたが。
家事に関しては、これまでもずっとやっていたことなので全く苦にはならなかった。
それよりも気になったが、家事の仕方に関して細かい指導が入ることだった。
「洗濯物の干し方だけどさ」
少し気を使っているのか「こうした方が良いよ」というような提案のような感じで伝えてくる。
もちろん言われたことは次回から気を付けるし、もっと効率的に家事を済ませるために色々と工夫もした。
こうしてモトハシの指導に従って家事をするようになったが、彼のマイルールはどんどん増えていった。
あまりにも増えすぎて、とても覚えられるような量ではない。
しかし、彼は驚くほど記憶力が良いので、自分で言ったことはしっかりと覚えていた。
前に言われたことを守れていないと、容赦なく厳しい指摘が入った。
「前に言ったよね?!」
普通に穏やかに言えば良いのに、怒りに満ちた目でこちらを見ながら間違っている部分を指摘する。
時には私の手から洗濯物を奪うように取り上げて、自分の満足のいくように干すこともあった。
たかだか洗濯くらいでいくつものルールがあるのだから、これが毎日の生活全般にまで及ぶとなると大変だ。
大げさではなく、本当に常に神経を張り詰めていなければならない。
こんな生活、ずっと続けられるのかな。
結婚してから半年も経たないうちにモトハシの異様なこだわりが姿を見せ始め、満足のいくレベルに達していないと許されないというのが私たちの間の常識となった。
顔色をうかがって怒られないようにする生活はとても息苦しいし、万が一怒らせてしまったのではないかと感じたら先回りして最悪の状況を回避する必要があった。
よほど機嫌が良い時以外はいつも夫の様子を観察し、こうしたら満足するのではないかというのを想像しながら対応しなければならなかった。
気に入らないとたやすく声を荒げるような人なのに、周りからの評判はすこぶる良かった。
優しそうとか穏やかで感じが良いなどと言われていて、
「良い人と結婚して良かったね」
という人もいた。
世間一般の評価が私の中の夫の人物像と恐ろしいほどかけ離れていて、このことが自分の感覚を信じられない原因の一つになった。
夫は本当は良い人なのかもしれない。
私が上手く立ち回れないだけで、他の人だったらもっと上手くやれるのかもしれない。
自己肯定感の低い私にとって、世間の評価ほど強い説得力を持つものはない。
同じように感じている人はいないのだから、これはもう私の受け取り方が間違っているに違いない。
そんな風に考えて、もっと上手くやらなければと自分を責めた。
もがきながらも何とか慣れようと努力し、少しは満足してもらえるようになっただろうかと思えるようになった頃、私は息子を身ごもった。
思えば、この頃の生活なんてまだ生ぬるい方だった。
息子が生まれてからの生活と比較してみたらまだ優しかったし、穏やかな時間も時々は訪れた。
ほんの短い時間ではあったが、その穏やかな時間を過ごすために日々の生活を頑張っていたといっても過言ではない。
本当の地獄は息子が生まれた後に始まり、やがて私たちの全ての自由を奪っていった。