なぜワシントンに住んでるのか?


たまに
そんなことを聞かれることがある。
だいたいが
たいそうな返事を
期待してるみたいだが、
実は、
あんまりたいしたことが言えないので
口をにごす。



いつ頃だったか
仕事も何もかも捨てて
どっか
適当にドライブして
適当に行き着いたとこで住もうと
話しをしたことがある。


あの頃は、
なんだか
何もかもがめんどくさくて
全部捨ててしまいたい、
そんな思いがいっぱいだった。


あれから
何年か経ってみると
そんな、どーにもならない
心の中にひっそり残ってる種火みたいなのは
いつの間にか、すっかりなくなってる。


だからって
どこかに行ってみたくないわけじゃない。
以前のように、
2,3年ごとに
住むところを変えたりするのも
ものすごく実は性に合ってたりするとは思う。



でも、
今では、
そんなことを考えることなんて
さっぱりなくて、
毎日があっという間に過ぎて
季節が知らない間に変わってたりする。


これでいっか


ってどこかで思う。
いい訳をいちいち考えたりするのも
めんどうなんで、
理由なんてありはしない。


ただ、なんとなく。
このDCが居心地のいい場所になってしまってた。
こんな静かな場所はイヤだと思っていた頃は
とっくの遠い昔の話。
どうにもこーにも説明のしようがない。


西海岸にいたことがある。
あちらの人たちは、
ここの辺りの人たちよりも
明るい。
今でもファミリーと呼ぶひとたちもいる。


でも、
ずーっと
なんとな~く過ごしている
あんまり好きでもなかったこの土地が
いつの間にか、完全にしっくりしてしまって、
果てには、
自分の一部になってしまっていたりして、
ときどき、それに気付いては、
ちょっと嘆いてたりする。


長期の旅行に出て帰ってくる時にいつも思う。
ああ、ここがわたしの家だと。
ここがわたしが住む街だと。
時差でぼ~っとなってる身体でも、
飛行機が大きく旋回して、
ヴァージニアの土地が見えたその瞬間に
「帰ってきた。」
と、心の中で叫ぶ。
やっぱり嬉しくて、
見ず知らずの隣の席の人にまで
つい、


着いたね。


なんて、話しかけてたりする。
ちょっと悔しい。
だけど、心が勝手に躍ってしまうんだからしょうがない。

時差の時のアタマってのは、
実は、意外としっかりしてるもんなんだ。
いつからか、飛行機で帰ってくる時には
窓から見える土地を、必ず覗くようになった。


わたしは日本人!


そう断言するけれど、
だけど、
その瞬間は、
やっぱりただのワシントニアン
いつまでも、日本人の血は大事にしたいけど、
この地、ワシントンは
いつの間にか
そんな大きな場所になってしまった。
あのほんの一瞬が、
不思議なもので、
なんとも言えない至福のときだったりする。


だから、
どうして、こんなDCにいるんだ?
と、たとえ訊かれたとしても、
わたしには答えようがない。
本当の理由を、わたし自身が一番よくわかってないから。
歳をとって、定年でも来たら、
また、どこか別の場所に住みたいと思うかもしれないし、
友だちが勧めてくれてるように、
別の国に住み着くかも知れない。
ただ、
この場所は、
一番大事な人たちが住んでいた日本よりも
わたしにとっては大切なところになってしまった。


だから、
人があんまり親切でなくても、
ちょっと堅くても
ブルジョワもいっぱいいても。
それでも
わたしは、この場所が帰る場所。
わたしには、ここの他に家と呼べるところがない。



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