自分を見失いそうでした。
もしかしたら、見失っていたのかもしれません。
好きとか、嫌いとか、なかなか表現しずらい世の中なのか、よくわかりませんが、
何故か、人って、どちらかというと、嫌いな気持ちみたいなものの方が、強く表現しているように感じています。
子供の頃から、親や兄弟、学校の先生など、それらの、その時の思いこみによる目上の方々に対して、
嫌だ!という表現の方がうまくできていなかった。
ある時から、自分に正直に生きよう!と決意し、
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、
と、ちゃんと表現していこうと思い、
そう過ごしてきていたと思いこんでいた事に気づきました。
大好きな我が子と接する。
勿論、価値観など親子でも違います。
何処かで、子供を認めようとします。
子供のやりたいように、やらしてあげたい!
と、いい親に、好かれる親に、なろうとしていた嫌われたくない自分がいました。
子供を愛するあまり、子供の選ぶものや意見に、寄り添おう、尊重してやろう、と思いながら、過ごしていた自分がいました。
すると、いつのまにか、何かザワザワしている自分がいて、
でも、子供が自ら選んだのだからいいか!
子供が好き好んでるんだからいいか!と、
思うようになり、
知らず知らずのうちに、子供の尊重や認めてやろうと、意識するあまり、
本来の自分の価値観などに蓋をしていました。
そしたら、身体中が苦しくて、どーにも平常心で過ごせない、笑うことさえできなくなりました。
子供を愛するばかりに、子供を尊重しよう、認めてあげよう、傷つけないようにしよう、
いろいろありますが、
そんな愛するものや、守るもの、
その為に、自分の価値観などに嘘をついて過ごすと、
ザワザワし始め、何かスッキリしない、
本当に心から喜べない、笑って過ごせない、
つまり、自分らしさを失う。
あくまでも、親は親であり、子供は子供。
それぞれ価値観もちがうわけで、
お互いの価値観でよくて、
その結果、認められなくても、嫌われても、よくて、
自分の価値観などに嘘をついたり、蓋をする事もない。
自分は、嘘や無視が大嫌いだ!
例え、守る為といえど、都合のいい故意の嘘は、理解できても許せなく大嫌い。
勿論、都合のいい故意の嘘をつける者なら、信じられなくなる。
どんな都合あれど、相手の存在を認めないような事は、都合は理解できても許せなく大嫌い!
その他にも、自分の価値観で、
認められないこと、嫌いなこと、
って、沢山あるが、
素直に自分の価値観で生きることが大切に思う。
食い違う価値観、違って当然な価値観、
その者どうしが過ごす場を共有するならば、
愛情というもので、
思いやりという気持ちを抱き、
互いに、寄り合うものなのだろう。
互いに、愛情や思いやりがなければ、互いに寄り合う事などなく、
共有する場など発生もしない。
愛するがあまり、
自分を見失っていた。
認められなくても、いい。
嫌われても、いい。
素直に自分の価値観を、提案していい。
Android携帯からの投稿
もしかしたら、見失っていたのかもしれません。
好きとか、嫌いとか、なかなか表現しずらい世の中なのか、よくわかりませんが、
何故か、人って、どちらかというと、嫌いな気持ちみたいなものの方が、強く表現しているように感じています。
子供の頃から、親や兄弟、学校の先生など、それらの、その時の思いこみによる目上の方々に対して、
嫌だ!という表現の方がうまくできていなかった。
ある時から、自分に正直に生きよう!と決意し、
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、
と、ちゃんと表現していこうと思い、
そう過ごしてきていたと思いこんでいた事に気づきました。
大好きな我が子と接する。
勿論、価値観など親子でも違います。
何処かで、子供を認めようとします。
子供のやりたいように、やらしてあげたい!
と、いい親に、好かれる親に、なろうとしていた嫌われたくない自分がいました。
子供を愛するあまり、子供の選ぶものや意見に、寄り添おう、尊重してやろう、と思いながら、過ごしていた自分がいました。
すると、いつのまにか、何かザワザワしている自分がいて、
でも、子供が自ら選んだのだからいいか!
子供が好き好んでるんだからいいか!と、
思うようになり、
知らず知らずのうちに、子供の尊重や認めてやろうと、意識するあまり、
本来の自分の価値観などに蓋をしていました。
そしたら、身体中が苦しくて、どーにも平常心で過ごせない、笑うことさえできなくなりました。
子供を愛するばかりに、子供を尊重しよう、認めてあげよう、傷つけないようにしよう、
いろいろありますが、
そんな愛するものや、守るもの、
その為に、自分の価値観などに嘘をついて過ごすと、
ザワザワし始め、何かスッキリしない、
本当に心から喜べない、笑って過ごせない、
つまり、自分らしさを失う。
あくまでも、親は親であり、子供は子供。
それぞれ価値観もちがうわけで、
お互いの価値観でよくて、
その結果、認められなくても、嫌われても、よくて、
自分の価値観などに嘘をついたり、蓋をする事もない。
自分は、嘘や無視が大嫌いだ!
例え、守る為といえど、都合のいい故意の嘘は、理解できても許せなく大嫌い。
勿論、都合のいい故意の嘘をつける者なら、信じられなくなる。
どんな都合あれど、相手の存在を認めないような事は、都合は理解できても許せなく大嫌い!
その他にも、自分の価値観で、
認められないこと、嫌いなこと、
って、沢山あるが、
素直に自分の価値観で生きることが大切に思う。
食い違う価値観、違って当然な価値観、
その者どうしが過ごす場を共有するならば、
愛情というもので、
思いやりという気持ちを抱き、
互いに、寄り合うものなのだろう。
互いに、愛情や思いやりがなければ、互いに寄り合う事などなく、
共有する場など発生もしない。
愛するがあまり、
自分を見失っていた。
認められなくても、いい。
嫌われても、いい。
素直に自分の価値観を、提案していい。
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自分が、されて嫌な事は人にするな!
と、いう。
確かに、そう思う。
果たして、
自分が、気にしない事は人にしてよいのか?
自分が気にならいから、相手も気にならないとは、限らない。
相手が嫌がるのなら、しては、よくない。
嫌がる事をすれば、宗教や文化の違いと同じで、
争いになる。
Android携帯からの投稿
と、いう。
確かに、そう思う。
果たして、
自分が、気にしない事は人にしてよいのか?
自分が気にならいから、相手も気にならないとは、限らない。
相手が嫌がるのなら、しては、よくない。
嫌がる事をすれば、宗教や文化の違いと同じで、
争いになる。
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