語り屋のGOING MY WAY -17ページ目

語り屋のGOING MY WAY

~人生楽ありゃ苦もあるさ~

サッカー少年団の元・素人指導者が我が道を貫く苦悩と日常。又、裏側にある素晴らしきもの。かな(-_-;)






ときどき僕は

無理に君を 僕のかたちに

はめてしまいそうになるけど

二人が育む 愛の名前は

街にうもれそうな

小さな 忘れな草







初めて 君と出会った日 僕は

ビルの向こうの空を

いつまでも 探してた

君が教えてくれた花の名前は

街にうもれそうな

小さな 忘れな草










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自分を見失いそうでした。

もしかしたら、見失っていたのかもしれません。


好きとか、嫌いとか、なかなか表現しずらい世の中なのか、よくわかりませんが、

何故か、人って、どちらかというと、嫌いな気持ちみたいなものの方が、強く表現しているように感じています。

子供の頃から、親や兄弟、学校の先生など、それらの、その時の思いこみによる目上の方々に対して、

嫌だ!という表現の方がうまくできていなかった。

ある時から、自分に正直に生きよう!と決意し、
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、

と、ちゃんと表現していこうと思い、

そう過ごしてきていたと思いこんでいた事に気づきました。

大好きな我が子と接する。

勿論、価値観など親子でも違います。

何処かで、子供を認めようとします。

子供のやりたいように、やらしてあげたい!
と、いい親に、好かれる親に、なろうとしていた嫌われたくない自分がいました。

子供を愛するあまり、子供の選ぶものや意見に、寄り添おう、尊重してやろう、と思いながら、過ごしていた自分がいました。

すると、いつのまにか、何かザワザワしている自分がいて、
でも、子供が自ら選んだのだからいいか!
子供が好き好んでるんだからいいか!と、
思うようになり、

知らず知らずのうちに、子供の尊重や認めてやろうと、意識するあまり、

本来の自分の価値観などに蓋をしていました。

そしたら、身体中が苦しくて、どーにも平常心で過ごせない、笑うことさえできなくなりました。


子供を愛するばかりに、子供を尊重しよう、認めてあげよう、傷つけないようにしよう、
いろいろありますが、

そんな愛するものや、守るもの、
その為に、自分の価値観などに嘘をついて過ごすと、

ザワザワし始め、何かスッキリしない、

本当に心から喜べない、笑って過ごせない、

つまり、自分らしさを失う。

あくまでも、親は親であり、子供は子供。

それぞれ価値観もちがうわけで、

お互いの価値観でよくて、

その結果、認められなくても、嫌われても、よくて、

自分の価値観などに嘘をついたり、蓋をする事もない。



自分は、嘘や無視が大嫌いだ!

例え、守る為といえど、都合のいい故意の嘘は、理解できても許せなく大嫌い。

勿論、都合のいい故意の嘘をつける者なら、信じられなくなる。



どんな都合あれど、相手の存在を認めないような事は、都合は理解できても許せなく大嫌い!

その他にも、自分の価値観で、
認められないこと、嫌いなこと、
って、沢山あるが、

素直に自分の価値観で生きることが大切に思う。


食い違う価値観、違って当然な価値観、

その者どうしが過ごす場を共有するならば、
愛情というもので、
思いやりという気持ちを抱き、

互いに、寄り合うものなのだろう。


互いに、愛情や思いやりがなければ、互いに寄り合う事などなく、

共有する場など発生もしない。







愛するがあまり、
自分を見失っていた。





認められなくても、いい。


嫌われても、いい。



素直に自分の価値観を、提案していい。


























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自分が、されて嫌な事は人にするな!

と、いう。

確かに、そう思う。


果たして、


自分が、気にしない事は人にしてよいのか?


自分が気にならいから、相手も気にならないとは、限らない。


相手が嫌がるのなら、しては、よくない。


嫌がる事をすれば、宗教や文化の違いと同じで、
争いになる。










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