道のり⑥ | 語り屋のGOING MY WAY

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~人生楽ありゃ苦もあるさ~

サッカー少年団の元・素人指導者が我が道を貫く苦悩と日常。又、裏側にある素晴らしきもの。かな(-_-;)

俺のサッカー熱ゎまだまだ健在。
そのまま中学へ。
もちろんサッカー部。
朝のトレーニングも欠かさずやった。
放課後ゎ部活。
そんな日々を繰り返してる時にある事があった。

先輩「あれっ!○○君、100円でも200円でも持ってない?」
俺「いや、持ってないですね。」
先輩「誰か持ってないかな? ちょっと聞いてみて。もし、持ってる奴いたら俺が貸して欲しいって言ってたって・・・」
俺「はい!わかりました。ちょっと聞いてみます。」
そんな会話だっただろう。

俺ゎ先輩が困ってるんならと善意で誰かに聞いてやろうと・・・・・何人かに聞くが誰も持っていなかった。

まぁ、その場ゎ終わった。

何日かして授業中に職員室へ呼び出された。

先生「まぁ、座れや」
普通に体育座りする俺。
すかさず、
先生「正座だろ!お前何で呼び出されたと思ってるんだ!」

わからない。心あたりもない。首を傾げながら正座する俺。

先生「お前、○○に金貸してくれって言われて・・・・・手伝ったんだろう!」
「あれゎカンパしてたんだよ。お前ゎ手伝ったんだろうが・・・」って言われた。

確かに、何人かに聞いてまわったけど、カンパだなんて知らないし、善意で聞いてあげただけ。

そぅ思いながら半日以上も正座させられた。銅線の詰まってるビニールパイプみたいなもんで頭をめちゃんこひっ叩かられた。竹刀でもひっ叩かられた。

悔しかったけど、何も言えない俺だった。

大人になった時、あの時何で反抗しなかったのだろう。 凄い後悔だけが残る出来事だった。
絶対に同じような悔しさゎ味わいたくないと・・・。
まぁ、今でも思い続けてるけど。。。
今思えば、先生をぶっ飛ばしても反抗するべきだったなぁと。。。


この年のサッカー新人戦。俺ゎレギュラーに・・・。


で中学2年になり、家ゎ学区外へ引っ越した。

俺ゎ中学を転校するくらいなら学校へ行かないとグズった。

親ゎ必死にぃろぃろと考えてくれて、何とか今までの学校のままですんだ。

学校の近くの知り合いの家まで自転車で行き、歩いて行った。
皆ゎ、ズルいと思っていたかもしれない。
俺にゎ後ろめたさゎなかった。
だって俺ゎその家の住人だからだ。
そぅ、住民票を移したのだ。

中学2年の頃、サッカー部の顧問が変わった。
俺ゎそいつが自分の担任学年をひいきする事が気にいらなかった。
あの頃ゎ皆反発的だったような感じだった。
また、桁外れのサッカー馬鹿な俺ゎ周りの皆ともうまく過ごせなかった。
それって結果、ハブ? (笑)。
そんな時もあった。

そんな頃、従兄弟の文雄君ゎ関東大学リーグ一部でプレーしていた。
この頃が以前の画像の頃だと思う。
小学校6年の時に下宿アパートに行った時、Leeのジーバンが吊るしてあれば、俺もLeeのジーバンをはく。 スパイクも真似たがった。 もちろん、プレーもポジションも仕草までも真似た。
中学2年のこの頃でも変わらない気持ちだった。
目指せ植○文雄ゎ続いた。

大学サッカーを見に行けば行ったで、凄さを感じた。
センターサークル内のフリーキック。蹴るのゎ水戸商出身だった川○選手。入りゎしなかったがクロスバーを叩く強烈なシュートだった。同じような場面が二本あった。
他にも強烈なスライディングタックル。遥か遠い位置から芝をきる音をさせながら飛び込んでくる。

今まで俺が見てきたサッカーでゎありえない光景だった。「凄い」ただそれだけだった。
パワフルな大学サッカーを見た。


当時の関東大学リーグにゎスパースターが沢山いた。
その中でも俺がプレーで好きだったのゎ、今市高校出身で一年浪人して順○堂大学に入った湯田○弘だ!

今ゎ千葉県の某大学の監督?しているかもしれない。

彼のドリブルゎ誰も止められない雰囲気だった。
シュートも強烈。
「さすが湯田○弘だ」と思いながらよく観戦した覚えがある。

ちなみに、今でも俺がやるチップキックゎ湯田を真似たのだ(笑)。

今でももう一度湯田のプレーが見たい。。。



お休みなさい。