久しぶりに昔話を語ってきました
(昔話の勉強をしていない大人たちの前で)

*「とっつこうか ひっつこうか」 (日本)

最後に隣の(欲深)じいさんが
丸焼けになって死んでしまうのですが
それが「残酷だ」という声が挙がりました

たったそれだけのことで
死ぬなんて見合わないと言うのです


これは 不運にも
子どもの頃 昔話の残酷さに出会えなかった
大人たちの反応ですね

子どもはすんなり受け止めますし
昔話の残酷さに触れて育った大人も
すんなりと受け止めます


これまでも昔話の残酷は大切なんです
というのを書いていますが
↓↓↓↓↓

「人を殺してみたかった」 という子に しない方法とは?


別の方面から書いてみようと思います


昔話やグリム童話などが専門の大学の教授は
「子どもに残酷なのはダメだ」
書き換えられたテキストが出回っているが
と前置きをして

昔話の残酷さというのはこういうことだとか
だから残酷さは必要とか
残酷さは「あって当然」の説明をします


一方でテキストを書き換えているのは
昔話にたいして触れていない方たちです
作家として著名であっても
昔話を学んでいない方も多くいます

残酷さを書き換えてしまう人たちは
「子どもに聞かせたくない」と一言ですんでしまいますが
残酷さが必要なことについての説明は
一言ではできません


私も 自分が講師を務める
絵本講座やおはなしの講座の中で
「昔話の残酷さは必要です」という項目があり
10分くらいはしゃべります



語ったのは午前中でしたが
午後家に帰ってからいろいろ考えてしまいました・・・


「昔話の残酷さが子どもの心をたくましく育てる」

とか題して

1時間~1時間半くらいの講座を設定して
売り込みかけようかと真剣に考えてしまいました


もちろん 昔話は
語り伝えられていくものなので
変わっていい部分もあります


昔話の構造など昔話の基本的なことを学び
それが終わったら
自分の言葉で語るための原稿を作る
という指導をしているのが
「昔ばなし大学」の小澤俊夫先生です



9月から「語り合う会」を立ち上げるに際し
趣旨と方向性があるのですが

既存のテキスト通りに語ってもいいけれど
それだけではない
「自分の言葉で語る」おはなし会です


その前段階の「残酷さ」も

きちんと理解されている方たちが前提というか
そういう人たちにしか声をかけていない
ということに今日気づかされました


興味ある方はどうぞ

@ 語り合う会

 9月16日(水) 10時~12時

 市民交流プラザ(広島市)
 参加費 会場費実費

 お問い合わせはアメブロメッセージかこちら
 katarinbo_storytelling@yahoo.co.jp



昔話の中では 
いろいろなことが起こりますが
子どもにはそれを受け止め
それを乗り越える力があります


未来を担う子どもたちが
たくましく生きる力を得られるよう
そのお手伝いができるよう
活動していきたいと思っています