久しぶりに昔話を語ってきました
(昔話の勉強をしていない大人たちの前で)
*「とっつこうか ひっつこうか」 (日本)
最後に隣の(欲深)じいさんが
丸焼けになって死んでしまうのですが
それが「残酷だ」という声が挙がりました
たったそれだけのことで
死ぬなんて見合わないと言うのです
これは 不運にも
子どもの頃 昔話の残酷さに出会えなかった
大人たちの反応ですね
子どもはすんなり受け止めますし
昔話の残酷さに触れて育った大人も
すんなりと受け止めます
これまでも昔話の残酷は大切なんです
というのを書いていますが
別の方面から書いてみようと思います
昔話の残酷さというのはこういうことだとか
語ったのは午前中でしたが
午後家に帰ってからいろいろ考えてしまいました・・・
とか題して
その前段階の「残酷さ」も
興味ある方はどうぞ
@ 語り合う会
9月16日(水) 10時~12時
市民交流プラザ(広島市)
参加費 会場費実費
お問い合わせはアメブロメッセージかこちら
katarinbo_storytelling@yahoo.co.jp
昔話の中では
いろいろなことが起こりますが
子どもにはそれを受け止め
それを乗り越える力があります
未来を担う子どもたちが
たくましく生きる力を得られるよう
そのお手伝いができるよう
活動していきたいと思っています
(昔話の勉強をしていない大人たちの前で)
*「とっつこうか ひっつこうか」 (日本)
最後に隣の(欲深)じいさんが
丸焼けになって死んでしまうのですが
それが「残酷だ」という声が挙がりました
たったそれだけのことで
死ぬなんて見合わないと言うのです
これは 不運にも
子どもの頃 昔話の残酷さに出会えなかった
大人たちの反応ですね
子どもはすんなり受け止めますし
昔話の残酷さに触れて育った大人も
すんなりと受け止めます
これまでも昔話の残酷は大切なんです
というのを書いていますが
「人を殺してみたかった」 という子に しない方法とは?
別の方面から書いてみようと思います
昔話やグリム童話などが専門の大学の教授は
「子どもに残酷なのはダメだ」と
書き換えられたテキストが出回っているが
書き換えられたテキストが出回っているが
と前置きをして
昔話の残酷さというのはこういうことだとか
だから残酷さは必要とか
残酷さは「あって当然」の説明をします
一方でテキストを書き換えているのは
昔話にたいして触れていない方たちです
作家として著名であっても
昔話を学んでいない方も多くいます
昔話を学んでいない方も多くいます
残酷さを書き換えてしまう人たちは
「子どもに聞かせたくない」と一言ですんでしまいますが
残酷さが必要なことについての説明は
一言ではできません
私も 自分が講師を務める
絵本講座やおはなしの講座の中で
「昔話の残酷さは必要です」という項目があり
10分くらいはしゃべります
語ったのは午前中でしたが
午後家に帰ってからいろいろ考えてしまいました・・・
「昔話の残酷さが子どもの心をたくましく育てる」
とか題して
1時間~1時間半くらいの講座を設定して
売り込みかけようかと真剣に考えてしまいました
もちろん 昔話は
語り伝えられていくものなので
変わっていい部分もあります
昔話の構造など昔話の基本的なことを学び
それが終わったら
自分の言葉で語るための原稿を作る
という指導をしているのが
「昔ばなし大学」の小澤俊夫先生です
9月から「語り合う会」を立ち上げるに際し
趣旨と方向性があるのですが
既存のテキスト通りに語ってもいいけれど
それだけではない
それだけではない
「自分の言葉で語る」おはなし会です
その前段階の「残酷さ」も
きちんと理解されている方たちが前提というか
そういう人たちにしか声をかけていない
ということに今日気づかされました
興味ある方はどうぞ
@ 語り合う会
9月16日(水) 10時~12時
市民交流プラザ(広島市)
参加費 会場費実費
お問い合わせはアメブロメッセージかこちら
katarinbo_storytelling@yahoo.co.jp
昔話の中では
いろいろなことが起こりますが
子どもにはそれを受け止め
それを乗り越える力があります
未来を担う子どもたちが
たくましく生きる力を得られるよう
そのお手伝いができるよう
活動していきたいと思っています