圓朝先生は幽霊と因縁因果をモチーフにしないと「真景累ヶ淵」が書けなかったと確信しますが、本編への導入部分まくらと言ってよいと思うところで幽霊が存在するしないの世相を噺ます。ここが微妙なところで果たして先生は幽霊を信じたのかどうか!?。そこから超大作「真景累ヶ淵」の噺が始まっていきます。
幽霊を使わないとこの噺は成り立たないから先生の真意はそこにあります。
わたしもそこに同調して魅力を感じたわけですから、まだ噺す稽古の段階はもっと先になりますが、深い表現力を要求されることになりますから、この胆の部分を自分のなかに造らなければ噺の世界に引き込むことは出来ないと感じています。