本格的に覚え始めましたが、お手本は志ん朝師匠。

目標は本当に高いところにあります。

師匠のアーチュキレーションの良さ、声色を変えると言うより人物が入れ替わる。

そしてなんといっても力強い。

「井戸の茶碗」を通して、いや志ん朝師匠を通しての稽古をしながら、

改めて自分の表現を見直し、作品を創り上げていく。

こんなプロセスを10年あまり繰り返してきても満点は一度もない。

近づいている時が何回かあったかな、それは「般若心経」だったかと思う。

山姥をやったときもそうだったかもしれない。

なにかが乗り移ったような。

今そのようなことを振り返りながら落語を考えている。

切り替えが多いのである意味冷静に、説明の部分と台詞の時。

様式が違うとこうも違うものだと、技術というのか語り日本の話芸。

出発点は俳優の道でしたから、虚構の世界で与えられた配役を生きればよいものでした。

そんな勉強ばかりしながら、もう一度演劇やりたいって始めた田布施座ですが役者が集まらないので、一人でもやれる様式がだんだん多くなってきました。

その点でも自分探しみたいな認識が強くなったのかもしれません。

色んな状況に適応しながらやっていくしかないのですね。

死ぬまで肉体表現者の道を歩めればいいなとおもいます。