わたしは今、生きている ~大事ないのちの使い方~ | 感覚派の幸せ&文章講座

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繊細で感性豊かな人がいちばん幸せになれて、生かされる居場所を見つけることや育む言語化サポートもさせていただいています。

こんにちは、香織です。

気がつけばもう8月、みなさまいかがお過ごしでしょうか?


わたしは、いまも変わらずコツコツ、こつこつ

自分の文章をまとめていて。


はじめて自分の価値観を目次化&体系化するよろこび(とくるしみ笑)に

日々明け暮れています♪

 

 

「出しきって、死ぬ」と決めてから 

ほぼ毎日早起きするようになって。

 

「書くために、起きる」は

「書くために、生きる」にもなってきていて

 

懐かしい感触に包まれながら、

まず自分が第一に満たされることを“貫徹”しながら、

静かに続けています。

(*またお披露目させていただけたらです♪)

 

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日曜の早朝、ふと感じた大好きな瞬間…

 

「わたしは今、生きている♪」

 

noteを書くために、最近早起きもして
noteに残すために、最近目次遊びも満喫し
noteを綴るたびに、すこし自分のことを好きになれる…

 

『あぁ今、わたし 生きている』

『わたしは今、ここに居ます』

 

という感じがしてならないのだ。

 

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「なにも書かなくていい」自由と
「なにを書いてもいい」自由とが
制限なく続き
ひろがるまっしろな画面をまえにすると
 

“今日は、どんないのちの瞬間を、奏でようか?”

 

ときに音楽のようなものさえ流れてきます。

 

 

そして
 “もっと、自由でいい”
そんな囁きも、書くに限らず人生において産まれてきます。
 

 

大好きな“表現”という時間。

それはきっと、突き詰めると芸術

人生においての“最高のあそび♪”時間が爆発する瞬間の

連続を生きることにほかならない。

 

頭を使わず、流れるように書くこと。
思考を超えて、感じるまま感性100%の自分もゆるしていくこと。

 

ひとは、「すなおに、本音で」書くとき、生きるとき
もっとも自由に、はるか彼方へと泳がされていくのだ。

 

 

***
 

完璧でなくていい。
「わたしは今、生きている」

 

森高千里さんカバーの17才という歌にもあるように
毎日毎朝、「わたし、今生きている♪」と感じながら過ごせるのは
どれだけ幸せなことだろう。?

 

そうして、日々“わたし”を感じながら、“地球”や“自然”も感じながら
自分で自分のことを満たしていくのだ。

 

「生きる」ということを、間違えないために。

「生かされる」という意味を、人生で覚えるために。

 

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わたしが、生きているのは“いま”だけれど、
文字は時代を超えていく。

 

だからタイムカプセルのように、未来の子どもたちが
“今”という熱いパッションを注いでくれたときに
フリーズドライで自然と内なる答えが解け出るような固形物(文字)

残していきたいと思うのだ。

 

「わたしは今、生きている」

 

その瞬間を、感じるために。
その連続という人生を、生ききるために。