今朝は、早くに目が覚めたので、早めに事務所に入り、仕事をしていると、いきなり大きな揺れを感じました。

 かなり強い揺れで、手作りの16振り掛けの刀掛けが倒れ、十数振りの刀が床に散乱し、刀掛けが、前にに有った、囲炉裏テーブルに激突して一部壊れて非常に危険な状況に成りました。

 私は、他の刀掛けを支えつつ、これ以上に成れば、机の下に避難するかと思いましたが、何とかそこまでには至らず、揺れは静まりました。

 しかし、こんな強い揺れは、阪神淡路の震災以来経験の無い揺れでした。

 私の事務所は、来年で築50年になる古い木造家屋で、ゆらゆら、ゆらゆら、大きく長い時間に渡って揺れました。

 とりあえず、自宅に電話をするも繋がらず、インターネットのニュースを見ると地震の速報が出ていました。

 とりあえず、倒れた刀掛けをセットし直し、刀を元に戻していると友人らから、次々にメールや、ラインで安否確認が入ってきました。

 とりあえず、知人が兄弟達も無事でした。

 少し落ち着いたところで、自宅に戻ってみると、(自宅は正方形のサイコロの様な形状で、事務所より格段に揺れに強い事は分かっていましたが)妻や娘が、テレビの緊急速報にかじりついていました。

 みんなの無事を確認して、再び事務所で片付けと、仕事を開始しました。

 今日は、東京から常連のお客様が来られる予定でしたが、予想通り、新幹線に閉じ込められ、本日の来店予定は消えました。

 阪神淡路の震災の時は、勤め先に出勤したものの、余りに他の職員が出勤してこないので、曜日を勘違いしたかと思っていると、出勤者全員が管理課に集められ、地震で神戸方面が壊滅的な状況であることが知らせられ、後ろのテレビには、阪神高速道路が倒壊している姿が放送されていました。

 オートバイ通勤であった私は、普通に出勤できましたが、公共交通機関の停止でほとんどの職員が出勤できない状況で、出勤できた者だけで、神戸方面の支店、営業所を一つ一つ電話をかけ、状況把握に努めましたが、直ぐに電話も繋がらなくなり、状況が分からないまま、時間が経つにつれ、比較的近い所に住んでいる職員が、徒歩や自転車でパラパラ出勤をしてきました。

 あの朝の事は、今も記憶に良く残っています。

 それから、数日後には、神戸方面への救助物資が保管しきれなくなり、その前年まで稼働していた支店の廃屋を稼働させて救助物資の配送を行う仕事に派遣され、およそ3週間、1月の極寒の廃屋で、交代が来なければ、最長48時間、延々と仕事をしていた事が思い出されます。

トラックの発着口にある、小さな記帳室のベンチでうとうとしてしまう事も有りました。

今月頭の、自治会の評議委員会で、南海トラフの地震が叫ばれている今、災害時の炊き出し用に自治地会館にある、五升釜を使って炊き出しを行う訓練が相談されたところでした。

とりあえず、数日分の水と、非常食の確保の必要性を改めて実感しました。

 

 

先日、研師が久々に事務所に訪ねてきて、物色していきましたが、この刀身なら、竹でも畳でも、まず問題無しと太鼓判を押して帰った一振りです。

【薩摩の名刀】「無銘」波平安行 71.0㎝ 、鑑賞に・居合刀として!!!