こんにちは、娘です。

最近疲れているお父さんに代わって、僭越ながら、またブログを書きたいと思います。

(お父さんの文章を楽しみにしていた方々、ゴメンナサイ。)

 

 

先日、猫のにゃーんが畑の草むらの中で寝ていました。

 

「これは草パスタと言って、体を草にあてることによって、体内の毒を浄化して、自然からのエネルギーを吸収しているんだよ。」

 

と、お母さんに伝えると、「草の上を裸足で歩きたいねぇ」と返ってきました。

 

それだ!

 

と、翌日私は、履いていたスリッパも靴下も脱いで、裸足で、畑の中にとびこみました。

 

 

 

 

昔の民間療法の中には、草パスター、土パスター、砂パスターというものがあります。

 

草や土、砂などに、直接触れているだけで、

 

大地や自然の壮大なエネルギーが、体の毒を吸い出していきます。

 

何を言ってるんだ。と思われる方も多いと思いますが、意外と民間療法の書物には当たり前のように書かれていたりします。

 

野生動物が怪我をすると、絶食することによって体内の血を濃く保ち、さらに、草パスタ・土パスタをして、時間をかけて自分で治癒するそうです。(すごい!)

 

 

 

(ただ、草や土と言っても、農薬や化学物質が使われている土は、避けてほしいです。

 

農薬を使うと、土の中にいる微生物が死んでしまいます。

 

現代は除菌と称して、様々な化学物質で、微生物を排除していますが、この微生物が重要な存在なのです。

 

昔は、化学で作られた農薬や肥料は使わず(なかったので)、自然に存在している微生物の力で作物を育てていました。

 

人間は微生物と共生して暮らしていました。それが、私たちにとって本来あるべき姿だと思います。)

 

 

 

 

そんなこんなで、草パスターをしながら作業した後、1時間くらい経ったあたりから、頭が痛くなってきました。

 

こうなればしめたものです。

 

人は各々の食べてきたものによって、体の各部位に毒素を溜め込んでいると言われています。

 

草パスターによって、その毒素が流れたことによって、痛くなったんだと思います。

 

こういう現象は、食養においては一般的で、”排毒現象”と言われています。苦しいのですが、解毒されている良い証です。

 

(ちなみに、私は過去に砂糖菓子を食べていた時期もあったので、頭に毒素を溜め込んでいるのだと思われます。

 

砂糖や添加物を食べると頭、肉や卵を食べると腸、魚を食べると足に毒素が溜まりやすいと言われております。

 

それが進行すると、砂糖を多食して、虫歯や認知症やパーキンソン病になったり。

 

肉・卵を多食して、大腸がんや腸内ポリープができたり。

 

レバーを多食して、肝臓病になったり。

 

乳製品を多食して、乳がんや前立腺がんになったりと、色々な病に発展する可能性が高まります。

 

今の西洋医学では、そうやってできた病を切除するのが主流ですが、それも本来不自然なことなので、あまりやるべきではないと思います。

 

やっぱり昔から日本人が食べてきたものを食べるのが一番安心ですよ。)

 

 

こう書くと、なんだか人々の不安を煽っているだけのような気がして、いつも自分が嫌になってきます。

 

ただ、ここは民主主義の国ですから、そういう言い伝えがあることも、知っておいても良いんじゃないかと思います、。

 

自由自由と言いつつ、日頃入ってくる情報は、誰かに操作されたものばかりが流布されているような気がします。

 

何を信じても良いはずなのに、出会うのは根拠のない情報ばかりで、それを世間体を守るため、人々は正しいと思わされて信じてしまうので、いつも悩ましいなぁと感じています。

 

(もちろん、ここに書いてあることも、正しくないと思ったら信じなくても良いですよ。)

 

 

 

 

そんなこんなで、気づけば人よりも猫とおしゃべりするようになっていました。猫大好き!!

 

 

 

 

草パスターや菜食も、楽しく、無駄なお金もかからないのに、どうして世間の人はやらないのだろうと、たまに思うのですが、

たぶん、お金がかからないから、やらないのです。

 

金儲けにならない情報を流そうとする人はなかなかいませんから。

 

現代は、金儲けになる情報を、企業が科学者を買収して、科学根拠を作り出して、国民に売り出します。

 

理論が正しい情報でも、金儲けに否定的な情報は企業に潰されます。

 

今の世は、経済社会ですから、それも一つの正しさかもしれません。

 

ただ、人としての正しさは、各々の中にあると思いますから、誰もがそこに流される必要はないと思います。

 

 

 

 

いつもの締めになりますが、ここにわざわざこういったことを書くのは、今の社会を否定したいわけではありません。

 

知った方が良いと思うのもあります。ただ、なによりも、そこに共感して、そこを志す人がいたら良いなぁと思うからです。

 

自然回帰を志すものは、現代では肩身が狭いものですから・・・、そういった、仲間がいたら、できたら、私はとても嬉しいです。

 

(以前まで私も、自然とは一切無縁の、化学や邪食の現代的な生活だったので、今の社会の方が良いという気持ちもよく分かります。)

 

 

 

「全ての病は、自然から離れた結果」と、食養の世界ではよく言われています。

 

いつか私も、化学や経済とは無縁の世界で、猫たちと一緒に昔ながらの生活をして、人生を全うしたいです。

 

 

 

 

 

丁子刃も美しく、拵もしっかりしたお刀です。樋鳴りも良く、一振りでオールラウンドに活躍してくれる、役立つお刀と思います。

【健全な現代刀、居合形稽古に最適な一振】「則秀」71.9cm 、鑑賞に・居合・試斬刀として!!!

 

 毎日のように刀の説明を書いていますが、最近ふと気になったことがあります。

 

 それは、戦前非常に高い地位、戦後人間国宝などに成られた方などと同格におられた刀匠さんが、意外と戦後は、日本美術刀剣保存協会の新作展などでほとんど賞を取れずに、無冠の刀匠として終わられている方が多いことです。

 

 銘鑑などを見ても、古い刀には詳しく書いていても、現代の刀匠の事となると、本名や師匠の名前位しか載っていないことが多いです。

 

 戦前から作刀されていた方の場合、戦前の資料は意外に多くて、その当時ランクなどにはいくつもの資料が出てきます。

 

 しかしその人の戦後の評価。といっても、日本美術刀剣保存協会の評価がほぼ絶対になっている現在、日本美術刀剣保存協会に評価されないと、全く評価のない刀匠と同じようになってしまいますが。

 

 戦前あれほど活躍されたのに、戦後ほとんど評価がされていない刀匠さんが結構多いことに気づきました。

 

 もちろん、人間国宝になられたような方は、大変努力をされたと思うのですが、他の方々も早々に作刀を再開された方たちは、意欲に燃えて、再スタートを切って始められたと思うのです。

 

 しかし戦後は入賞は全くなく、入選しかしない人もよく見るのです。

 

 そんな意欲的な刀匠さん達が、いきなりそんなに腕が落ちるとは私には思えないのです。

 

 入賞しなければ、無監査もなれませんし、無監査にならないと人間国宝にもなれません。

何かそこに、人の意思が入っているような気がします。

 

 私は戦前から活躍していた刀匠さんの腕が相対的にしても、そんなに急に落ちると思えません。

 

 何か不思議で、この世界の難しさを感じる気がします。  

 

 

 

 

戦前に、皇族の佩刀や、陸軍大将の佩刀を二流の刀鍛冶が依頼されたとは思えません。

これで刀身がもっと綺麗だったら、自身を持ってもっと高い値を付けられるのですが、小錆の様な、鍛え傷の様な不思議な傷が有ったので、ほんの僅かな利益で販売する事にしました。

研げば名刀に返信するかもです。

でも、実用には全く差支え無いお刀です。

【大阪に住した刀匠の貴重な一振】「源信重」72.0cm 、鑑賞に・居合・試斬刀として!!!

 

 皆様には、大変ご迷惑をおかけしますが、拵の作成依頼が大変多く、一時的ではありますが、居合拵を含めた拵への受注を停止させて頂く事と成りました。

 

 続けようとして、続けられない訳では無いのですが、どこの工房も能力の限界があります。

 

 現在、当店がお願いしている工房や職人さんの許容力を超える注文が入っております。

 

 工房からは、今送らないでほしいと言う声もたくさんいただいてます。

 

 そこでやむなく、一時的に拵の受注をストップさせて頂く判断をしました。

 

 かっては、刀の販売よりも、拵での収入の方が多い時期もありました。

 

 しかしながら、以前から言われていたことですが、当職の方の高齢化と引退は歯止めが効きません。

 

 長年、当店の刀をお願いしている職人さんも、年齢を重ねたせいか、スピードがかなり落ちてきました。

 

 さらに、工作のレベルを上げる取り組みをずっとして参りましたので、余計に難しくなって、工房に送れず、事務所で待っている刀が増えていきます。

 

 ことここに至っては、今お受けしているお方の処理を急ぎ、一度きれいな状態に戻してから再開をしたいと思います。

 

 皆様には大変ご迷惑をかけるのですが、なにとぞご容赦を願いたいと思います。

 

 事務所にある刀が全て最終の工程まで行った段階で再開を期したいと思います。

 

 もともと、実用刀剣の店として、拵の作成は避けて通れない物でしたが、ここ数年の鞘師さんを中心とした当職の方々の引退は、今までギリギリ持っていた均衡を破ってしまったように思います。

 

 しかし、その分、店内での工作能力はかなり向上しています。

 

 その力をフルに生かして、一日も早く再開できる様努めて参ります。

 

 お客様からの督促や途中からの仕様変更等も、少し疲れて来ました。

 

 これからも、続けて行く為の、一時的な猶予期間とお考え頂けると幸いです。

 

 よろしくお願いします🙇

 

 

 

 

 

時代の割には健全そのもので、樋鳴りがヒュンヒュンのお刀です。

時代の肌荒れと小錆は有るものの、居合の形稽古に使用するには何の問題も有りません。

一度振って頂くと直ぐに理解して頂けると思います。

実利を取って頂けたらと思います。

【軽量手持ち良く、樋鳴り良い一振】「無銘」71.5cm 、鑑賞に・居合・試斬刀として!!!

 昨日、朝、居合の稽古前に少しだけ仕事をしようと思って仕事場に出ていると、急に電話がかかってきて、「会長、皆さんもお揃いですから、そろそろ出てきてください!」と電話が入ってきました。

 

 最初何のことか一瞬わからんかったんですが、今度は墓地管理委員会の会長になることが決まっていました。

 

 しぶしぶではありますが、誰かがやらなければならないことというのを放置するのはどうも苦手で、とりあえず、氏子総代の仕事を下ろしてもらえるならと言う条件で引き受けていました。

 

 先日、前会長のと打ち合わせでは、それぞれ班長さんがいるので、その人がリードをして皆さんの世話をしてくれますてな話でした。

 

 それでも、とりあえず、初回ぐらいは顔を出したほうがいいのかなと思いつつ、大急ぎで村の墓地に駆けつけました。

 

 

 すると、聞いてた話とはかなり違って、リーダーさんもみんな何をしていいかよくわからず、とりあえず、第二日曜と第四日曜はお掃除をすると言うことになってるようです。

 

 ただ、会計をしてくれる人が見つからず、結局、自分でやる事と成りました。

 

 天候も悪かったので、掃除だけして、とりあえず解散しました。

 

 どうも、毎月、第二、第四日曜日は、結局、出て来ないと行けない様子でした。

 

 急いで戻って、刀のアップを一振りして、今度は居合の稽古です。

 

 私は、組太刀だけして、新人さん親子の指導に徹しました。

 

 元々、同じ流派で10年程前に別れた団体から移ってきたので、形は全く同じ筈ですが、細かな理合いが全く教えられて居ないのは、ちょっとびっくりでした。

 

 とりあえず、いろいろ説明にあけくれました。

 

 そして稽古が終わると、竹の切り出しに行きました。

 

 来週の日曜日、石清水八幡宮で奉納演武を行うのに必要だったのです。

 

 雨天の中、ずぶ濡れになりながら一生懸命切り出して会社に持ち帰ると疲れ切ってました。

少しだけ、仕事をして、帰って寝ました。

 

 

 今日は、刀剣商の集まる市場に行って来ました。

 

 結構手の掛かる物も含め7振り程買って、持って帰るだけで、肩がおかしく成る様でした。

 

(出せる物から随時出して行きます)

 

 来週は、石清水八幡宮の奉納演武があるので、今週中にしやべくり原稿も作らねば、なかなかハードな毎日です。

 

 この所、成績が良いのは良いのですが、刀の仕入れと整備が追い付かず、あちこちの市場に出て行ってます。

 

 皆様のお手持ちのお刀でそろそろ処分をお考えの方が居られましたら、是非お譲り下さい。

 

 是非ともお願いします。

 

 

 

重ねしっかり有り、樋鳴りも十分な互の目丁子の綺麗なお刀です。

形も試斬も結構一振りで熟せそうなお刀です。

特に樋鳴りは、ヒュンヒュンなので、形中心の居合稽古には大変良いと思います。

【健全な現代刀、居合形稽古に最適な一振】「則秀」71.9cm 、鑑賞に・居合・試斬刀として!!!

 

 

 過去のブログを見ていて少し懐かしいと言うか、その時の事を思い出したものが有ったので、リブログさせてもらいます。

 

 

電話

 夜に成って一本の電話がかかってきました。

 私が代表を務める居合団体の前の会長をして頂いて居た、言わば長老の方からです。

 私達の流派のイベントはいろいろありますが、各支部選抜で行う物として、伊勢神宮での武芸奉納会への参加が有ります。

 多数の居合や、古流剣術、古武道の流派が、伊勢神宮の舞台で、奉納演武を行うものです。

 日本一の格式を誇る神社での演武と言う事もあり、我々に取っては、大切な晴れの舞台です。

 ただ、人数制限が有る事と、紋付の羽織袴の正装を求められる事から、毎年、高段者から順に声掛けを行い、参加者を選抜していました。

 しかし、会員の少ない支部では、段位の低い会員でも参加できるという実態もある事から、
今年は、稽古時に会長一任を宣言し、私が引率をして、参加した事の無い下位の段位の人を中心に選抜しました。

 その背景には、87歳の最高齢剣士にも、晴れの舞台を踏んでもらって、良い思い出で作ってもらいたいと言う考えが有りました。

 所が、その最高齢剣士が、「身体が十分に動かない自分が奉納に参加しては、我が会の恥と成る。そんなことでみんなに迷惑をかけたくない。」と辞退を申し出たとの事でした。

 しかしながら、一生懸命段取りを整えてくれる私に、自分からは言い出せないと、会の長老から話をして欲しいと、相談が有ったようです。

 しかし、私も、会の仲間もそれを迷惑とは思っていません。

 また、流派全体の会長も、最高齢剣士の参加に当たって、私から、いちばん基本の形のみを振り分けて欲しいとの要請に、快諾を頂いて居ました。

 この方が、緊張で技を間違える事があったとしても、どの支部の人間も馬鹿にすることは無いと自信を持って思っていました。

 仮にそんな人が居れば、どんな偉い先生でも、許さないと腹を括って指名したつもりでした。

 そんな私の思いは、逆に本人に取っては、大きなプレッシャーと成っていたようです。

 勿論、本人が苦痛に思う事を無理にさせる事は出来ません。

 ただ、この年から、劇的に体力が回復していく事は想像しにくく、来年伊勢神宮での奉納演武が有っても、この最高齢剣士を晴れの舞台に立たせてやれることは無いだろうと思うと、電話を切った後、涙が溢れてきました。

 我が会のどの高段者より稽古熱心で、みんなの為に働く事も他の会員とは比較に成りません。

 それだけに「何とか」と、他の高段者とも相談し、連れて行く事を発表しました。

 私達に恥をかかせるような事は何が有ってもしたくないという、老剣士の心は痛い程分かりますが、そんな面倒な事を考えずに、一緒に晴れ舞台に立ってもらいたかったです。

 亡くなった私の父よりも二歳年上で、言わば子供の様な私に「先生、先生」と立ててくれていますが、武道歴で言えば、私等、ひよっこに過ぎません。

 何よりも他の会員の役に立てる事に、喜びを見つける姿は、本当の武道家の姿そのものと尊敬もしています。

 正式には、私から、電話か直接会うなりして、最終的な意見を確認した上で、流派の事務局に参加者の変更を届けねば成りませんが、会の長老から私に話をして欲しいと頼んだ事を考えれば、反意させる事は難しいでしょう。

 無念で、暫く涙が溢れるのを止める事が出来ませんでした。

 余分な事など考えずに楽しんでもらいたかったのですが。

 負担に成ってしまっている様では、どうしようも有りません。

 ただ、残念でしょうが有りません。
 
 以上です。
 
 これは、2019年に書いた記事なので、もう6年も前に成ります。
 
 この時の老剣士は、今は稽古に来られていません。
 
 90歳になる頃に、パーキンソン病に成り身体がどんどん動かなく成って行かれました。
 
 携帯は既に解約された様で、何度かお宅をお邪魔したりしましたが、最近は自宅の電話番号へ、電話をかけても、出られる事が無くなりました。
 
 奥様と息子さんが居らしたはずですが、何故か繋がりません。
 
 施設にでも入られたのでしょうか。
 
 今日は何だか、思い出してしまいました。
 
 何分お年がお年なだけに、どうされているか気に成ります。
 
 また、お宅を訪ねてみたいと思います。
 
 
 
 
 
大変覇気の有る刀身で、戦う心が伝わって来る刀身に、特注金具による凝り凝りの拵に入っていて、内外共に価値あるお刀です。
戦前の番付では、一握りのトップクラスに居られた方の戦後の作品です。戦う波動がビンビン伝わって来るようです。審査に足せば保存鑑定が付く事は保証できます。