継続は必ずしも力にはならないと思う
ブログは書かないといつか決めたのだけれど
なぜだか書き始めている…
ああ憂鬱だ
卒業してないけど文学部だったし
物書きは嫌いじゃないのだけれど
こと日記やブログの類は、はじめてしまうと
続けなけりゃ意味を介さないとゆうやっかいな性質を持っている
面倒極まりない
第一、週に1度ジャンプを読むことくらいが生き甲斐の
代わり映えない男の日常を
感情の起伏が乏しい俺がドラマチックに綴ることなど
できるのでしょうか?
さらに言おう
俺は「継続」とゆう言葉が好きではない
これを聞いて気分がいいのはせいぜいバトルスペックの
パチンコを打っているときくらいだ
ちなみに同一のカテゴリーに入る
「積み重ね」「コツコツ」
なども好きじゃない
それにはちゃんと理由もある
なにせ俺は継続が必ずしも力にはならないことを
数々の例において身を持って実証してきたのだ
むしろこれまでの人生を相関すると
トラウマになっているのかもしれない
その一例を言うならば
夏が来ると思い出すアサガオの観察だろう
学校から持って帰り毎日観察日記を付けるってゆう
夏休みの宿題でも王道中の王道なあれ
当時小2の俺と友達のあっくんにも
当然のようにその宿題が与えられた
俺達は2軒隣の家という立地条件下で
ほぼ同じタイミングで水をやり続けたにも関わらず
あっくんのアサガオは夏休みが終わるまで咲き誇り
俺のは7月中に萎れた
おかげで俺は小学校2年生にして
花一つ育てられない自分の存在意義を
本格的に疑うことになった
そもそも花を育てる授業に
教育上どんな狙いがあるのか理解できない
今も小学生達にこの宿題が与えられるのかは分からないけど
俺に子供ができたらまずそのあたりに疑問を持てと教えよう
これを育てることにどんな意味があるんだろうか
そしてそれを毎日見て何を学べばいいのだろうか
ゆとり教育なんてクソみたいな政策だけど
それ以前の教育も間違えだらけで
思い返してみりゃ理不尽なことをいくつもやらされた気がする
いつの時代も学校なんてところは
ブルーハーツよりまともなことは滅多に教えてくれないんだ
もうひとつ小学生時代
あれはまだ俺がリトルリーグで汗を流す
純潔無垢な野球少年だった頃の話
東京でそれも新宿区で育つとゆう
ずさんな環境下のもとでも立派に純潔を守った俺が
真面目に生きても意味ないじゃん
とゆうスローガンを掲げて生きるきっかけとなった出来事は
小6の秋に起こった
野球と日々の努力はイコールで繋げられるほどに重要である
なんてことを指導者は8割強の確立で言うが
それは嘘だ
俺の入っていたチームは強かった
監督も過去最強のチームと豪語するくらいに
正確に言うと5年生の秋に突然この最強チームができあがった
同地区のライバルチームがひとつになり全国大会とか世界大会を
目指そうと目論んだ我が監督がおそらく黒い何かをちらつかせ
強豪チームをまるごと自分のチームに引き入れてしまった
まさに今で言うM&A、吸収合併だ
旧チームは俺なんかがエースで3番を打っていたくらいの
ほのぼのした万年3番手チームだったのだが
この革命により役者は揃ってしまう
のちに神奈川の名門高校に進み中心選手として甲子園に出場する
同世代では最強のスラッガーがいた、やつのポジションはファースト
ちなみに今は胡散臭い健康器具を売っている
のちに肩を壊したかなんかで野球を断念し中心人物として
カラーギャングに属す同世代ではある意味伝説の豪腕がいた
当然やつのポジションはピッチャー
ちなみに今は消息不明
のちにセンター街の中心を歩きストリート系雑誌のモデルまでつとめ
同世代のギャルから熱視線を送られるスラッガーもいた
やつのポジションはレフト
ちなみに俺はこいつが1番嫌いだった
不幸なことに俺は左利きで
チームの核となるそいつらと同じポジションにしか適性がなかったのだ
幸い足だけは速かったおかげでなんとかレギュラー落ちは免れたが
その結果
俺の前にライトを守っていた親友のショウはポジションを失い
その後はほとんどの試合で出番を失った
お互い忙しくて最近は回数が減ったけれど
ショウとは今でも飯を食ったり飲みに行ったりする
中学からは学校は別々だったけど
小学生からの友達はこいつしかいない
そもそも俺が本格的に野球を始めるキッカケは、このショウだった
区の少年団に入り、遊びの延長みたいな野球をやっていた俺は
試合のときたまに助っ人にやってくるショウに隣の某区で練習している
チームに入らないかと誘われた、うちから練習場までの距離と移動時間
を瞬時に弾き出した俺は、ひどく面倒だなと思いつつ
実は野球をやってる時より家でゲームをしているほうが好きなんだよな
という決して口外できない本心を秘めつつ
友達を失いたくない一心で快い返事をした
俺がショウと一緒のリトルリーグに入りたいと両親に打ち明けると
野球バカの父親はドカっと喜び
別の習い事をさせたかった母親はガクっとなりつつ喜んだ
晴れてショウと同じチームに入った俺はまず
1年前からそこで練習をしているショウや上級生とのレベルの違いを知り
いきなり落ち込んだわけだが、優しいショウは下手くそな俺に合わせて
練習に付き合ってくれた、大げさじゃなくこの時の恩は一生忘れない
やがてその友人とチーム内でライバルとなり
楽しくやっていた野球は俺の中で段々苦痛になっていった
子供ながらに気を使っていたのかもしれない
ショウと目があったりショウが声をかけてくれたりする度に
何故だか自分が恨めしくなった
良い結果をだせなかった試合のあとなんかは特にそうだった
そんな俺の個人的感情とは裏腹に大会に入ると
チームは快進撃を続け発足以来発の全国大会に出場した
しかしそこまでが快進撃で全国大会の成績は悲劇そのものだった
1回戦コールド負け
チーム内や地区内でいくらすごいと思っていても所詮は
井の中の蛙で
カラーギャング男はこれでもかとゆう位打ち込まれ
甲子園男もモデル男も完璧に抑え込まれた
チーム全体でも成す術なく
たしか東北のどこかのチームに俺達は惨敗し
俺達に勝ったそのチームも同日にあった2回戦で負けた
試合後のミーティングで監督が言う
上には上がいるんだ身の丈を知れ
どれだけ悔しかったのか知らないが
やつは冷たくそう言い放った
おかげで俺は小学校6年生にして人の社会には格差とゆうものが
生まれることを悟ってしまった
あの日監督から
その試合で引退する俺達に労いの言葉はほとんどなかった
5年生中心のチームだったから
すでに次の大会を見据えていたんだろう
"上には上がいる"
じゃあいつもお前が偉そうに言っていた言葉はなんだったんだ
努力は嘘をつかないとか、継続は力なりとか
俺達は真に受けて一年中休みもなく毎日練習したんだ
大人は無責任に子供を評価する
あの日以来俺は無駄な努力を辞めた
中学も高校も野球は続けたし、もちろん思い出もたくさんある
だけど不思議なもので今でも夢に出てくるのは
いつだって小学生のその時期の事ばかりだ
小学校の時のクラスメイトの顔なんてもう殆ど覚えちゃいないのに
思春期以前の強烈な挫折で自己防衛機能が働き
現在のめんどくさがりで適当な人格が形成されたのではないかと
俺は自己分析している
学生野球は残念ながら健全じゃない
毎年強いチームをつくり上げるには優秀な下級生が必要で
小学生球児を中学校に中学生球児を高校に
高校球児を大学やプロや名門企業に
昔の言葉で言うといわゆる橋渡しをする
当然取る側も取られる側もメリットを求める
1番手っ取り早いのは金、2番目は条件
いつだったかあの甲子園男が教えてくれた
自分が高校を選んだ理由は入学前から
3年間レギュラーを約束されていたからだと
おそらくあの監督も自分の名を上げる為に勝つ事だけを考え
良い選手を集めて中学や高校に入れてってゆうような
汚いことをたくらんでいたに違いない
悪人は必ず成敗される、あの監督はチームを去り東京を去った
自営業者だった彼はクリーニング店をたたみ今では遠く九州に
いるのだそうだ、なぜ知っているのかって?
知っているさ監督はショウの父親でもあったんだから
ショウは中学2年で苗字が変わり、母親と姉との3人家族になった
俺はショウが不幸だろうと思ったけれど、そうでもなかったらしい
あの男は父親としても不誠実な人間だったのかもしれない
……つーか、重っ
ゆるキャラの俺がこんな激おもな話を続けるのも癪だし
この件に関してはまだまだ言いたいことがあるが
だいぶ話が脱線し何より長くなってしまったので
また機会があったら書き殴ろうと思う
本題は"継続"についてだったが
まぁ平たく言うと
終わりのない物に対して同じテンションを持続して
向き合うことは大変で自由主義の俺は縛られることが嫌いで
縛られてみた結果が今までは大抵良いものじゃなかったってことです
以上がブログを書きたくない1番の理由で
他には書き出すと止まらなくなったり
喋りだすととめどなかったりするノンストップ野郎だからってことや
心ないコメントに深刻に落ち込んでしまったりするとか
色々ネガティブ要素があるんです
そこまで言って何でやるんだよってお思いでしょうが
あるんですよ
こんな俺にブログを始めさせるという天変地異な大事件が
まあまあ聞いて下さいな
これは退屈な人生を邁進している俺に起こった
ドラマチックなお話なんです
夏風邪がなかなか抜けず
今日ついに決意を固め病院に行くことにした
病院にはいつでも沢山ひとがいる
まるで人気のショップのよう
待つこと30分『風邪ですね』
だからそう言ってんじゃん
『のどが少し炎症起こしているのでお薬出しますね』
看護婦がタイプじゃなかった事や
女医の態度が気にいらなかった為
たかだか千円ちょいの診察料を渋々払った
が、クスリを大量にくれたのでチャラ、960円。安い!
市販の風邪薬買うのはバカバカしいなと冷静に思い
これからなんでも病院に行こうかなと真剣に思った
って言うやつばっかだから
病院がコンビニ化してしまうんだな
しかしまぁ日本の医療保険制度ってのは素晴らしいな
などと、あらためて感動しながら薬局をでると
うしろから子連れのお姉さんに声をかけられた
『久しぶり、さっき待合室で見かけたんだけど
深刻そうな顔してたから声かけらんなかったよ』
アレルギー体質で昔から皮膚科に通い詰めだったり
喘息持ちで月に1度は必ず内科を受診する為
割と病院は好きなんだけど
風邪が重くて医者を頼った経験はあまりない
だからけっこうな面持ちだったのかもしれない
こちとら久しぶりな感覚は一切なかったが
大人の礼儀上適当な感じで相槌を打つ、誰だっけ
『もしかして誰かわかってない?』
いや、はぁ、うん的な感じでヒヤヒヤ笑う
焦る大人を見て母に手をひかれた娘はゲラゲラ笑う
『佐藤です』
母親も状況を楽しむかのようなキラーパスを挿し出しクスクス笑う
佐藤さん?まじわかんねェ、どうしよ失礼だよな
処方箋の入った袋を持つ手には若干の冷や汗が伝う
もうわかんねぇ、わかんねぇけど
わかってる風の演技を続けるAパターンで行こうか
それとも、ごめんわかんないのBパターンか
ああ、神よ俺はどうしたらいい、いっそ大地震でもおこして
この場をうやむやな感じにしてくれ!!
動揺している人間の発想など突拍子もなくて情けない
『私だよ、ほら、私』
母親は執拗にプレッシャーをかけてくる
極限に達したそれは俺に苦渋の決断をさせ
究極であるBパターンを使用させた
中学3年のころ
俺は左腕を安全ピンで丁寧に削った
"Akane is my life"つまりは
"アカネ命"と
即席タトゥーといった感じだ
もちろん俺は不良じゃない
当時の彼女が大好きで
つい夢中になって削ってしまっただけのこと
中学生の精一杯の直訳を
ものすごくオシャレな愛の言葉だと思いながら
赤々と浮かび上がった"Akane is my life"を眺めては
退屈な授業中ニヤニヤしていた
アホ以外の何ものでもないが
我ながら強烈な愛情表現だと思う
ただし所詮は14、5歳の恋愛など一過性のようなものだ
俺とその子の淡い恋も例外なくあっさり終わり
都合よく美化した思い出だけが残った
ちなみに俺がいつか有名人になって
初恋はいつですかとゆうたぐいの質問をされたら
この恋だと答えようと決めている
別れの理由は簡単だった
会えない時間が増えたってだけ
受験勉強というメインイベントから現実逃避をし続け
電車で1時間もかけて私立校に通うハメになった俺は
地元の友達と段々疎遠になっていき卒業する頃には
近所に話相手になってくれる友達もすっかりいなくなっていたのだ
さて現代に戻ろう
佐藤さんと言う名の子連れのお姉さんは
珍しい苗字からごく平凡な苗字に変わったアカネだったわけだ
お子さんは4つになるらしいから
少なくても4年前には俺に未練などなかったわけだとアホな計算をした
しかし驚いた、すごくキレイになった
元カノの顔を覚えてないのかよ!とツッコむ人には見せてあげたい
仕方ないだろう
テニス部で真っ黒に日焼けしていた彼女
夏休みに俺達に混ざって泥まみれで遊ぶ彼女
近所のピンポン鳴らして逃げたり
団地に向けて打ち上げ花火をぶっ放したり、ロケット花火で打ち合ったり
次々と浮かぶイタズラのアイディアを目を輝かせてプレゼンする彼女
チャリンコを飛ばしてうちにやってくる彼女
俺はサルの子かと思うようなヤンチャなアカネしか知らなかったんだから
たかだか旅行に行くからと成人式を欠席したり
同窓会の案内に目もくれなかった俺は今日
10年振りの劇的な再開をはたした
病院の近くの喫茶店に入り色んな話をした
話の中でアカネは言う『ブログ書かないの?』
実は数年前とある経緯で俺は苦手なブログを書くハメになっていた
そこで書いた記事のほとんどをアカネは読んでいたらしい
俺の書いた文章に感動したとも言ってくれた
すごく嬉しかった
だから始めますって言うのも勘違い甚だしいが何事もキッカケは大事だ
それからビッグニュースを聞かされて驚いた
横山んちのじじいが死んだってこと
横山とも10年くらい会ってないから変わっているのかもしれないけれど
やつは俺の知っている当時いわゆる肥満児で
ふくよかな子供特有の温かさを持つ気のいい少年だった
まさに一緒にロケット花火を打ち合った悪友
ゲームの所持数がすさまじかったり
家がラーメン屋だったからただで賄いが食えたりする為
当時横山の部屋は俺達のたまり場でもあったのだが
わりとゆるやかな両親の影にいわゆる頑固親父的にじいさんが
君臨していたわけだ、俺達が白昼かわいく騒いだりすると
結構な剣幕で杖を振りかざしてシカりに来る
怒られた以外思い出はほとんどない
あるとすればやけにレトロなチャリに乗ってたなってことと
色気も素っ気もない黒アメをよく貰ったってことくらいで
別になんの義理もないんだが
なぜだか少しだけセンチメンタルになった
ヤクザな俺だって顔を知ってる人間がこの世からいなくなれば
それは当然寂しく思う
俺の今の家は実家から地下鉄の駅1駅分とゆう
ものすごく近距離にある
近くにいるのに生家のご近所事情をまったく知らない
いつでも帰れるって思っているから
まったく帰らないのが普通になってきてしまっている
親子の縁で母親とは買い物に行くスーパーが一緒な為
偶然会ったりするのだが
父と妹を最後に見た日がいつか思い出せないレベルにまで至っている
今日じいさんの話を聞き、なんとなく月に何度かは
家に帰ろうかなと思った
これは不倫かなという一抹の不安を抱えつつ
アカネと2時間近く話し込んだ
見た目は変わったが中身は変わらず元気なアカネだった
俺は見た目も中身も全然変わらないと言われたので
悔しさ満載で永遠の少年として生きる宣言をしてやった
今でも昔みたいに一緒にヤンチャができそうだったけど
俺達は連絡先を交換しなかったし
昔話ばっかりで今の自分達の話はしなかった
もちろん旦那の佐藤さんは誰なのかも聞いてない
俺はコーヒーを飲み干し、相変わらずコーヒーが苦手なアカネは
クリームソーダを飲み干し
あの頃みたいに『じゃあね』と別れた
多少後ろ髪は引かれたが振り返らずに歩いた
帰り道に俺は少しだけ恋がしたくなった
なんだか昔話の連発で
場末のスナックで人生を語るおっさんの雰囲気になっているが
人よりも少し波乱万丈な青春時代を過ごした俺には
強烈なエピソードが沢山あるのだ
今後自伝的に過去を書き綴るのも悪くない
いつ死ぬかわからんし
腐った世の中に言い放ちたいことも多々ある
友人に伝えときたいメッセージも少しある
継続とゆう言葉は嫌いだが"連載"とゆう言葉には憧れる
せっかくスローライフを送っていて
身軽な人間であるわけだから
久しぶりに再開した友人に貰った嬉しい言葉と
久しぶりに浮かんだ人間の顔で思い出した思い出をキッカケとして
なんとか日記くらい書き続けて行こうかと
俺は今日静かに決意した
いや、日記と呼ぶと継続という言葉が着いて回る
これは短編と呼ぶことにしよう
なぜだか書き始めている…
ああ憂鬱だ
卒業してないけど文学部だったし
物書きは嫌いじゃないのだけれど
こと日記やブログの類は、はじめてしまうと
続けなけりゃ意味を介さないとゆうやっかいな性質を持っている
面倒極まりない
第一、週に1度ジャンプを読むことくらいが生き甲斐の
代わり映えない男の日常を
感情の起伏が乏しい俺がドラマチックに綴ることなど
できるのでしょうか?
さらに言おう
俺は「継続」とゆう言葉が好きではない
これを聞いて気分がいいのはせいぜいバトルスペックの
パチンコを打っているときくらいだ
ちなみに同一のカテゴリーに入る
「積み重ね」「コツコツ」
なども好きじゃない
それにはちゃんと理由もある
なにせ俺は継続が必ずしも力にはならないことを
数々の例において身を持って実証してきたのだ
むしろこれまでの人生を相関すると
トラウマになっているのかもしれない
その一例を言うならば
夏が来ると思い出すアサガオの観察だろう
学校から持って帰り毎日観察日記を付けるってゆう
夏休みの宿題でも王道中の王道なあれ
当時小2の俺と友達のあっくんにも
当然のようにその宿題が与えられた
俺達は2軒隣の家という立地条件下で
ほぼ同じタイミングで水をやり続けたにも関わらず
あっくんのアサガオは夏休みが終わるまで咲き誇り
俺のは7月中に萎れた
おかげで俺は小学校2年生にして
花一つ育てられない自分の存在意義を
本格的に疑うことになった
そもそも花を育てる授業に
教育上どんな狙いがあるのか理解できない
今も小学生達にこの宿題が与えられるのかは分からないけど
俺に子供ができたらまずそのあたりに疑問を持てと教えよう
これを育てることにどんな意味があるんだろうか
そしてそれを毎日見て何を学べばいいのだろうか
ゆとり教育なんてクソみたいな政策だけど
それ以前の教育も間違えだらけで
思い返してみりゃ理不尽なことをいくつもやらされた気がする
いつの時代も学校なんてところは
ブルーハーツよりまともなことは滅多に教えてくれないんだ
もうひとつ小学生時代
あれはまだ俺がリトルリーグで汗を流す
純潔無垢な野球少年だった頃の話
東京でそれも新宿区で育つとゆう
ずさんな環境下のもとでも立派に純潔を守った俺が
真面目に生きても意味ないじゃん
とゆうスローガンを掲げて生きるきっかけとなった出来事は
小6の秋に起こった
野球と日々の努力はイコールで繋げられるほどに重要である
なんてことを指導者は8割強の確立で言うが
それは嘘だ
俺の入っていたチームは強かった
監督も過去最強のチームと豪語するくらいに
正確に言うと5年生の秋に突然この最強チームができあがった
同地区のライバルチームがひとつになり全国大会とか世界大会を
目指そうと目論んだ我が監督がおそらく黒い何かをちらつかせ
強豪チームをまるごと自分のチームに引き入れてしまった
まさに今で言うM&A、吸収合併だ
旧チームは俺なんかがエースで3番を打っていたくらいの
ほのぼのした万年3番手チームだったのだが
この革命により役者は揃ってしまう
のちに神奈川の名門高校に進み中心選手として甲子園に出場する
同世代では最強のスラッガーがいた、やつのポジションはファースト
ちなみに今は胡散臭い健康器具を売っている
のちに肩を壊したかなんかで野球を断念し中心人物として
カラーギャングに属す同世代ではある意味伝説の豪腕がいた
当然やつのポジションはピッチャー
ちなみに今は消息不明
のちにセンター街の中心を歩きストリート系雑誌のモデルまでつとめ
同世代のギャルから熱視線を送られるスラッガーもいた
やつのポジションはレフト
ちなみに俺はこいつが1番嫌いだった
不幸なことに俺は左利きで
チームの核となるそいつらと同じポジションにしか適性がなかったのだ
幸い足だけは速かったおかげでなんとかレギュラー落ちは免れたが
その結果
俺の前にライトを守っていた親友のショウはポジションを失い
その後はほとんどの試合で出番を失った
お互い忙しくて最近は回数が減ったけれど
ショウとは今でも飯を食ったり飲みに行ったりする
中学からは学校は別々だったけど
小学生からの友達はこいつしかいない
そもそも俺が本格的に野球を始めるキッカケは、このショウだった
区の少年団に入り、遊びの延長みたいな野球をやっていた俺は
試合のときたまに助っ人にやってくるショウに隣の某区で練習している
チームに入らないかと誘われた、うちから練習場までの距離と移動時間
を瞬時に弾き出した俺は、ひどく面倒だなと思いつつ
実は野球をやってる時より家でゲームをしているほうが好きなんだよな
という決して口外できない本心を秘めつつ
友達を失いたくない一心で快い返事をした
俺がショウと一緒のリトルリーグに入りたいと両親に打ち明けると
野球バカの父親はドカっと喜び
別の習い事をさせたかった母親はガクっとなりつつ喜んだ
晴れてショウと同じチームに入った俺はまず
1年前からそこで練習をしているショウや上級生とのレベルの違いを知り
いきなり落ち込んだわけだが、優しいショウは下手くそな俺に合わせて
練習に付き合ってくれた、大げさじゃなくこの時の恩は一生忘れない
やがてその友人とチーム内でライバルとなり
楽しくやっていた野球は俺の中で段々苦痛になっていった
子供ながらに気を使っていたのかもしれない
ショウと目があったりショウが声をかけてくれたりする度に
何故だか自分が恨めしくなった
良い結果をだせなかった試合のあとなんかは特にそうだった
そんな俺の個人的感情とは裏腹に大会に入ると
チームは快進撃を続け発足以来発の全国大会に出場した
しかしそこまでが快進撃で全国大会の成績は悲劇そのものだった
1回戦コールド負け
チーム内や地区内でいくらすごいと思っていても所詮は
井の中の蛙で
カラーギャング男はこれでもかとゆう位打ち込まれ
甲子園男もモデル男も完璧に抑え込まれた
チーム全体でも成す術なく
たしか東北のどこかのチームに俺達は惨敗し
俺達に勝ったそのチームも同日にあった2回戦で負けた
試合後のミーティングで監督が言う
上には上がいるんだ身の丈を知れ
どれだけ悔しかったのか知らないが
やつは冷たくそう言い放った
おかげで俺は小学校6年生にして人の社会には格差とゆうものが
生まれることを悟ってしまった
あの日監督から
その試合で引退する俺達に労いの言葉はほとんどなかった
5年生中心のチームだったから
すでに次の大会を見据えていたんだろう
"上には上がいる"
じゃあいつもお前が偉そうに言っていた言葉はなんだったんだ
努力は嘘をつかないとか、継続は力なりとか
俺達は真に受けて一年中休みもなく毎日練習したんだ
大人は無責任に子供を評価する
あの日以来俺は無駄な努力を辞めた
中学も高校も野球は続けたし、もちろん思い出もたくさんある
だけど不思議なもので今でも夢に出てくるのは
いつだって小学生のその時期の事ばかりだ
小学校の時のクラスメイトの顔なんてもう殆ど覚えちゃいないのに
思春期以前の強烈な挫折で自己防衛機能が働き
現在のめんどくさがりで適当な人格が形成されたのではないかと
俺は自己分析している
学生野球は残念ながら健全じゃない
毎年強いチームをつくり上げるには優秀な下級生が必要で
小学生球児を中学校に中学生球児を高校に
高校球児を大学やプロや名門企業に
昔の言葉で言うといわゆる橋渡しをする
当然取る側も取られる側もメリットを求める
1番手っ取り早いのは金、2番目は条件
いつだったかあの甲子園男が教えてくれた
自分が高校を選んだ理由は入学前から
3年間レギュラーを約束されていたからだと
おそらくあの監督も自分の名を上げる為に勝つ事だけを考え
良い選手を集めて中学や高校に入れてってゆうような
汚いことをたくらんでいたに違いない
悪人は必ず成敗される、あの監督はチームを去り東京を去った
自営業者だった彼はクリーニング店をたたみ今では遠く九州に
いるのだそうだ、なぜ知っているのかって?
知っているさ監督はショウの父親でもあったんだから
ショウは中学2年で苗字が変わり、母親と姉との3人家族になった
俺はショウが不幸だろうと思ったけれど、そうでもなかったらしい
あの男は父親としても不誠実な人間だったのかもしれない
……つーか、重っ
ゆるキャラの俺がこんな激おもな話を続けるのも癪だし
この件に関してはまだまだ言いたいことがあるが
だいぶ話が脱線し何より長くなってしまったので
また機会があったら書き殴ろうと思う
本題は"継続"についてだったが
まぁ平たく言うと
終わりのない物に対して同じテンションを持続して
向き合うことは大変で自由主義の俺は縛られることが嫌いで
縛られてみた結果が今までは大抵良いものじゃなかったってことです
以上がブログを書きたくない1番の理由で
他には書き出すと止まらなくなったり
喋りだすととめどなかったりするノンストップ野郎だからってことや
心ないコメントに深刻に落ち込んでしまったりするとか
色々ネガティブ要素があるんです
そこまで言って何でやるんだよってお思いでしょうが
あるんですよ
こんな俺にブログを始めさせるという天変地異な大事件が
まあまあ聞いて下さいな
これは退屈な人生を邁進している俺に起こった
ドラマチックなお話なんです
夏風邪がなかなか抜けず
今日ついに決意を固め病院に行くことにした
病院にはいつでも沢山ひとがいる
まるで人気のショップのよう
待つこと30分『風邪ですね』
だからそう言ってんじゃん
『のどが少し炎症起こしているのでお薬出しますね』
看護婦がタイプじゃなかった事や
女医の態度が気にいらなかった為
たかだか千円ちょいの診察料を渋々払った
が、クスリを大量にくれたのでチャラ、960円。安い!
市販の風邪薬買うのはバカバカしいなと冷静に思い
これからなんでも病院に行こうかなと真剣に思った
って言うやつばっかだから
病院がコンビニ化してしまうんだな
しかしまぁ日本の医療保険制度ってのは素晴らしいな
などと、あらためて感動しながら薬局をでると
うしろから子連れのお姉さんに声をかけられた
『久しぶり、さっき待合室で見かけたんだけど
深刻そうな顔してたから声かけらんなかったよ』
アレルギー体質で昔から皮膚科に通い詰めだったり
喘息持ちで月に1度は必ず内科を受診する為
割と病院は好きなんだけど
風邪が重くて医者を頼った経験はあまりない
だからけっこうな面持ちだったのかもしれない
こちとら久しぶりな感覚は一切なかったが
大人の礼儀上適当な感じで相槌を打つ、誰だっけ
『もしかして誰かわかってない?』
いや、はぁ、うん的な感じでヒヤヒヤ笑う
焦る大人を見て母に手をひかれた娘はゲラゲラ笑う
『佐藤です』
母親も状況を楽しむかのようなキラーパスを挿し出しクスクス笑う
佐藤さん?まじわかんねェ、どうしよ失礼だよな
処方箋の入った袋を持つ手には若干の冷や汗が伝う
もうわかんねぇ、わかんねぇけど
わかってる風の演技を続けるAパターンで行こうか
それとも、ごめんわかんないのBパターンか
ああ、神よ俺はどうしたらいい、いっそ大地震でもおこして
この場をうやむやな感じにしてくれ!!
動揺している人間の発想など突拍子もなくて情けない
『私だよ、ほら、私』
母親は執拗にプレッシャーをかけてくる
極限に達したそれは俺に苦渋の決断をさせ
究極であるBパターンを使用させた
中学3年のころ
俺は左腕を安全ピンで丁寧に削った
"Akane is my life"つまりは
"アカネ命"と
即席タトゥーといった感じだ
もちろん俺は不良じゃない
当時の彼女が大好きで
つい夢中になって削ってしまっただけのこと
中学生の精一杯の直訳を
ものすごくオシャレな愛の言葉だと思いながら
赤々と浮かび上がった"Akane is my life"を眺めては
退屈な授業中ニヤニヤしていた
アホ以外の何ものでもないが
我ながら強烈な愛情表現だと思う
ただし所詮は14、5歳の恋愛など一過性のようなものだ
俺とその子の淡い恋も例外なくあっさり終わり
都合よく美化した思い出だけが残った
ちなみに俺がいつか有名人になって
初恋はいつですかとゆうたぐいの質問をされたら
この恋だと答えようと決めている
別れの理由は簡単だった
会えない時間が増えたってだけ
受験勉強というメインイベントから現実逃避をし続け
電車で1時間もかけて私立校に通うハメになった俺は
地元の友達と段々疎遠になっていき卒業する頃には
近所に話相手になってくれる友達もすっかりいなくなっていたのだ
さて現代に戻ろう
佐藤さんと言う名の子連れのお姉さんは
珍しい苗字からごく平凡な苗字に変わったアカネだったわけだ
お子さんは4つになるらしいから
少なくても4年前には俺に未練などなかったわけだとアホな計算をした
しかし驚いた、すごくキレイになった
元カノの顔を覚えてないのかよ!とツッコむ人には見せてあげたい
仕方ないだろう
テニス部で真っ黒に日焼けしていた彼女
夏休みに俺達に混ざって泥まみれで遊ぶ彼女
近所のピンポン鳴らして逃げたり
団地に向けて打ち上げ花火をぶっ放したり、ロケット花火で打ち合ったり
次々と浮かぶイタズラのアイディアを目を輝かせてプレゼンする彼女
チャリンコを飛ばしてうちにやってくる彼女
俺はサルの子かと思うようなヤンチャなアカネしか知らなかったんだから
たかだか旅行に行くからと成人式を欠席したり
同窓会の案内に目もくれなかった俺は今日
10年振りの劇的な再開をはたした
病院の近くの喫茶店に入り色んな話をした
話の中でアカネは言う『ブログ書かないの?』
実は数年前とある経緯で俺は苦手なブログを書くハメになっていた
そこで書いた記事のほとんどをアカネは読んでいたらしい
俺の書いた文章に感動したとも言ってくれた
すごく嬉しかった
だから始めますって言うのも勘違い甚だしいが何事もキッカケは大事だ
それからビッグニュースを聞かされて驚いた
横山んちのじじいが死んだってこと
横山とも10年くらい会ってないから変わっているのかもしれないけれど
やつは俺の知っている当時いわゆる肥満児で
ふくよかな子供特有の温かさを持つ気のいい少年だった
まさに一緒にロケット花火を打ち合った悪友
ゲームの所持数がすさまじかったり
家がラーメン屋だったからただで賄いが食えたりする為
当時横山の部屋は俺達のたまり場でもあったのだが
わりとゆるやかな両親の影にいわゆる頑固親父的にじいさんが
君臨していたわけだ、俺達が白昼かわいく騒いだりすると
結構な剣幕で杖を振りかざしてシカりに来る
怒られた以外思い出はほとんどない
あるとすればやけにレトロなチャリに乗ってたなってことと
色気も素っ気もない黒アメをよく貰ったってことくらいで
別になんの義理もないんだが
なぜだか少しだけセンチメンタルになった
ヤクザな俺だって顔を知ってる人間がこの世からいなくなれば
それは当然寂しく思う
俺の今の家は実家から地下鉄の駅1駅分とゆう
ものすごく近距離にある
近くにいるのに生家のご近所事情をまったく知らない
いつでも帰れるって思っているから
まったく帰らないのが普通になってきてしまっている
親子の縁で母親とは買い物に行くスーパーが一緒な為
偶然会ったりするのだが
父と妹を最後に見た日がいつか思い出せないレベルにまで至っている
今日じいさんの話を聞き、なんとなく月に何度かは
家に帰ろうかなと思った
これは不倫かなという一抹の不安を抱えつつ
アカネと2時間近く話し込んだ
見た目は変わったが中身は変わらず元気なアカネだった
俺は見た目も中身も全然変わらないと言われたので
悔しさ満載で永遠の少年として生きる宣言をしてやった
今でも昔みたいに一緒にヤンチャができそうだったけど
俺達は連絡先を交換しなかったし
昔話ばっかりで今の自分達の話はしなかった
もちろん旦那の佐藤さんは誰なのかも聞いてない
俺はコーヒーを飲み干し、相変わらずコーヒーが苦手なアカネは
クリームソーダを飲み干し
あの頃みたいに『じゃあね』と別れた
多少後ろ髪は引かれたが振り返らずに歩いた
帰り道に俺は少しだけ恋がしたくなった
なんだか昔話の連発で
場末のスナックで人生を語るおっさんの雰囲気になっているが
人よりも少し波乱万丈な青春時代を過ごした俺には
強烈なエピソードが沢山あるのだ
今後自伝的に過去を書き綴るのも悪くない
いつ死ぬかわからんし
腐った世の中に言い放ちたいことも多々ある
友人に伝えときたいメッセージも少しある
継続とゆう言葉は嫌いだが"連載"とゆう言葉には憧れる
せっかくスローライフを送っていて
身軽な人間であるわけだから
久しぶりに再開した友人に貰った嬉しい言葉と
久しぶりに浮かんだ人間の顔で思い出した思い出をキッカケとして
なんとか日記くらい書き続けて行こうかと
俺は今日静かに決意した
いや、日記と呼ぶと継続という言葉が着いて回る
これは短編と呼ぶことにしよう