扉の向こうに広がっていたのは、一面に薔薇が咲いた薔薇園だった。
白石の床に薔薇の壁が芸術感さながらに咲き誇っている。

その中心にいたのは、アンズの友人であるはずのツバキだった。
彼女は何故か黒いドレスを身に纏い、優美に椅子に腰掛けて巻いた毛先を玩んでいた。
その彼女から、冷たい視線がアンズに突き刺さる。


「貴様、どうやってココに入ってきた」

「え…?アレ、ツバキ…だよ、ね?」

「質問に答えろ」

「っ!」


酷く鋭い言葉に、アンズは怯んだ。
その表情には困惑している様子が見て取れる。


「あっあの、ね、ネズ…追っかけて、この扉を開けたら、ココに…っ」

「……ほぅ」

「うぅ…」


椿と思わしき人物は再び指先をクルクルと回し始めた。


「貴様。私が誰で、ココが何処だかわかっているのか?」

「えっ!?そ…そういえばココ何処!?」


アンズの反応に、ツバキは呆れたように返した。


「私は女王。ハートのクイーンだ。そしてココは、私の薔薇園」

「じょ…女王?」

「そう、女王。女王の私の庭に無断で入ってきた貴様には、罰を与えないとな」

「えっ!?ちょっ…ネズ追っかけなきゃいけないのに!!やだよ罰なんて!」

「…そのネズというのは……白ウサギのコトか?」

「白ウサギ?…た、多分そう!」

「ほぅ…白ウサギ……じゃあお前が…」


女王はボソボソと何かを呟くと、おもむろに側で咲いていた薔薇を取った。


「面白い…」

「え?」

「……白ウサギなら、彼方に行ったぞ。お前に言い付けを課してやろう。いいか?白ウサギを、私の下まで連れてこい。必ずだ。いいな?」

「は、はいっ!よくわかんないけど…わかった」

「…餞別にくれてやろう」


返事をしたアンズに、女王は手にしていた薔薇をアンズの方に投げた。
アンズがそれを受け取ったと同時に、それは赤黒い液体へと姿を変えた。


「うわぁうろぅえ~~!!!??」


それに驚いたアンズが思わず手を振り回すと、その液体が女王の顔に僅かだが掛かった。


「はっ!!ごっごめんなさいすみませんひゃわぁ~顔が~!!」

「貴様…私の顔を汚すとは、いい度胸だな…この場で喰ってやろうか…?」


一瞬女王の目が鋭い光に揺れたのに気付いたアンズは慌てふためいて無意味に女王の周りをピョンピョン跳ねながら謝罪を繰り返す。


「ごめんなさい申し訳ありませ……え?喰う!?」


「喰う」という単語にアンズが反応した。


「イヤイヤイヤ!!私そんな趣味ないし!イヤだよ!!」

「…何のコトを言っているんだ?貴様は」

「だって『喰う』ってヤ…」

「私は『私の腹を貴様の肉で満たしてやろうか』と言ったんだぞ?」

「え!………どっちみちイヤだよぉ~!!そんなっ!食べられるなんて!!!」


勘違いに気付いたアンズは刹那硬直したが、すぐに首を横にすばやく振り、必死に女王から距離を取ろうと後ずさった。
その様子に、女王が笑い、自分の顔を指差して言った。


「フ…、貴様、面白いな。……貴様のその面白さに免じて、コレは許してやろう」

「は、はいっ!ありがとうございます!」

「ならもう行け。…いいな、私との誓いを忘れてくれるなよ?」

「はい!あ、また会えるかはわかんないけど…行ってきます!ありがと~」


トタタタと走り去っていくアンズの姿を見つめながら、女王が顔についた液体に触れると、ソレは一枚の薔薇の花弁になり舞い落ちた。
そして、女王は誰に言うともなく呟いた。


「………会えるさ、嫌でもな…」







つづく。
気が付けば杏子は小さなネズを追いかけていた。
小さいとは言え、子供ではない。
男子校生・ネズがそのままデフォルメ仕様になったようだった。

だが、ネズは小さくなっていても、アンズは小さくはならなかった。
ただひたすらネズを追いかけるその目には、明らかに殺意の様なモノを感じる。

しかし、そんな調子でアンズがネズを追いかけていても、一向に二人の距離は縮まらなかった。
小さくなっても陸上部男子。
運動神経が極端にないアンズに余裕で差を付けている。
それがさらにアンズを煽ったのだが、それも不完全燃焼となってしまう。


不意に現れた扉の向こうに、ネズが逃げ込んでしまったのだ。
そこでアンズは足を止めた。
その扉は小さかった。
小さくなったネズなら入れるが、原寸のアンズではとても無理だった。

しかし構わずアンズは扉を強く叩く。


「ちょっと!出てこいネズ、開けろ!!」


すると、カチャ…と扉が少し開き、ネズが顔を出す。
その潔さにアンズが少し見直しかけたその時。


「べーっ!」


ばたんっ!

また扉は閉められた。
アンズはさっきよりも荒々しく扉を叩く。


「ちょっ…、コラ開けろ!ネズ!!」


しかしもう扉の向こうで何か動きを感じられるようなこともなく、アンズの乱暴に扉を叩く音だけが虚しく響いた。
しばらくそのままアンズが扉を叩いていると


「うるさいですよ」

「ん?」


小さく声が聞こえ、アンズが声のした方を見た。
するとそこには、ネズと同じく小さなコダチの姿があった。


「え…えっ!?こ、コダチ君!?」


コダチとは、アンズのかつての憧れの君だった、可愛さとクールさを合わせ持った少年である。
何故か今の彼はスーツを着用し、小さなその体には不似合いなオーラを纏っていた。


「そこに入りたいんですか?」


彼の問いかけに頷くアンズ。


「あっ、うん。ネズがこの先に…」

「ふぅん…だったら、コレを差し上げます。体の大きさを変える薬です」


すると彼は懐から薬らしきモノを取り出した。
アンズはそれを素直に受け取る。


「ありがとう!…アレ?このカードみたいなのは?描かれてるのは…何コレ?」

「龍です。黒龍。私のね」

「コダチ君の!?」

「…そうですけど。……その薬を飲んだらこの先に行けます。わかったらさっさと何処かに消えて下さい、煩わしい」


彼はそう毒舌を吐くとスタスタと身を返して行ってしまった。
アンズは手渡されたカードを見た。
ソレにはコダチのイメージとは掛け離れた、荒々しく身を奮わせている黒龍の姿があった。
「私の」という言葉がイヤに引っ掛ったが、アンズは『このカードは自分のものだ』という意味でそう言ったのだろうと思い込み、大事に懐にしまい込んだ。
アンズが渡された薬を飲むと、次の瞬間には目の前の扉が少し大きく見えた。


「ホントにちっちゃくなってる~!」


と彼女は驚いた。
しかし驚くのもそこそこに、すぐさま目的を思い出して扉に手を掛けた。

その先には、ネズはおらず、替わりに赤に染まった庭が広がっていた。
そしてそこにいる人物に、アンズは目を見開く。


「あれ?……ツバキ?」









つづく。
これは少女の夢の話。



軽やかに廊下を歩く足音。
その足音の主は迷いのない足取りで人気のない渡り廊下を歩いていた。
向かう先は美術室。
憧れの先輩に癒されるコトを期待し、いっぱしの女子高生・アンズはとても明るい気持ちで美術室の扉を開いた。


しかし、そこに広がるのは、寒がりのアンズを救う暖房の利いた暖かな美術室の風景ではなく、この世のモノとは思えないほど淀んだ空間だった。
アンズの眼前に暗い色が広がっている。


「…何コレ…?」


やや困惑しながらもアンズはその空間を覗き込んだ。
底が見えるワケが無いといえば無いのだが、アンズの旺盛な好奇心がこの空間の先に興味を示していた。
その時アンズの頭の中には「何故こんな空間が…?」とか「アレ、美術部の皆は?」とかいう疑問はもう薄れてしまっている。
彼女の意識は今やもうこの空間の先、ただそれ一点だけに向けられている。

しかしその空間は、何やら足を踏み込めば落ちていきそうな予感がする。
重力の法則に逆らう事なく落下してしまうだろうというコトは何故だか今の彼女には容易に想像出来た。
自らの意識を持った陸上のあらゆる生物は、本能で落ちるコトを恐れるという。
このコトはバラエティと斬新な学習を兼ねた某番組でも取り上げられ、怖いものしらずな赤ん坊を対象に行った実験結果でも明らかになっている。
アンズもそんな陸上の生物然り。
落ちるのは恐い。
しかしどうにもこの先が気になってしょうがない。
そこへ現れたのが、彼女の知人、ネズ。
そのネズの存在に気付いたアンズ。


「アレっ?ネズじゃん!どしたの~?」


しかし。
ネズはアンズへの反応もそこそこに、不意に手を上げ、

ぺちん。

直後アンズは顔に平手を食らった。
突然ひっぱたかれたアンズは目を点にしている。


「えっ、イタっ!?ちょっと何!?何で叩くの私なんかした!?」


驚愕に満ちた目でネズを見るアンズ。
赤く色付いた頬を擦りながら叩かれた原因を考えるが、特に思い当たらない。
一方ネズは困惑しているアンズを他所に、アンズに向かって「あっかんべー」のポーズ。
それを見て、殴られたコトに特に意味や理由は無いということに気付かされ、イラッときたアンズ。


「ちょっ…!テメェ!!」

「べーっ!」


アンズが何かを言うよりも早く、ネズは床を蹴り上げると躊躇う事なく美術室であったであろう部屋に広がっている空間に身を投げた。
それを見るや否や、アンズは怒りに我が身を奮わせてネズに続くようにその空間へ身を投じた。

その時の彼女の脳内を埋めていたのはこの空間へ対する好奇心ではなく、ただ純粋なひとつの感情が彼女のカラダを動かしていた。

そう、”怒り”という感情が。
目的は勿論。



自分の顔をさして理由もなくひっぱたいたネズに仕返しをする為に。







つづく。