大石内蔵助の実母の出身は徳島 蜂須賀家 | 痛みで苦しまない人生を医学の力で導く痛み改善ドクター富永喜代のブログ

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富永ペインクリニック院長。医学博士。2万人の臨床麻酔実績を持つ麻酔科医。おはよう日本、金スマなど出演多数。著書は95万部超。YouTube『女医 富永喜代の人には言えない痛み相談室』チャンネル登録者数24万人、総再生回数5000万回。SNSフォロワー35万人。

【大石内蔵助の実母は徳島 蜂須賀家】

 

討ち入りにご縁がある土地といえば、

 

浅野家があり、大石内蔵助の地元兵庫県赤穂市、

 

吉良上野介の地元 愛知県、

 

東京都品川区の泉岳寺などが有名です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

 

大石内蔵助の実母 熊子が徳島藩祖 蜂須賀家政のひ孫で、

 

大石内蔵助が蜂須賀家政の玄孫であること、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
そして、

 

大石内蔵助が討ち入り前日に、

 

蜂須賀家政の孫で、徳島藩家老を父親に持つ

 

三尾豁悟に『暇乞い状』を送ったことなど、

 

徳島藩と大石内蔵助との関係はあまり知られていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
うちの先祖 廻船問屋『家内喜屋』は、

 

徳島藩 阿波水軍の本拠地である、

 

徳島県阿南市椿泊町にありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
父親から先祖と討ち入りの関係を初めて聞いた時、

 

なぜ、阿波 徳島にあった『家内喜屋』が

 

討ち入りの道具を江戸に運んだのか、

 

全くわかりませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ですが後に、

 

大石内蔵助の母親の出身を知ったとき、

 

そのわけが一気にわかる気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
最も信頼ができて、

 

一番大切な秘密を守れる相手として、

 

母方の実家の縁者を頼ったのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
「大石内蔵助殿自筆書状」が門外不出とされ、

 

その『暇乞い状』が

 

徳島藩 家老池田家の家宝とされていたこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
そして、うちの先祖『家内喜屋』も、

 

代々、その秘密を守ってきたこと。

 

 

 

 

 

 

 

  
討ち入りを支えた徳島藩の歴史を感じます。

 

  
~2018年11月3日:徳島藩 家臣団シンポ

 

 -家老池田家と水軍の森家ー

 

  徳島城博物館にて~