魔法の遺伝子?!
原発が人間の領域を超えているとすれば、
この遺伝子開発も似たような雰囲気ありませんか?
ほんとに難しい問題だと思います。
自分を含め近い関係の人たちが健康な時は、
「 ちょっと突出した研究 」
と思う部分もあります。
他方、誰かが病気になったとき、
「 研究が進んで実用化してほしい 」
と身勝手な意見を言うでしょう。
基本 人間の脳が考えることは自分勝手です。
別の視点から考えれば、人類はもともと持っている生命体の仕組みを、
頭脳によって、ほんのわずかな%で解明してきています。
自然の力で、出来上がった生命の仕組みをなぞっているだけにすぎません。
別に解明されなくても、生命活動は継続します。死なない限り。。。
ここではっきりさせなければいけないのは、生命力と思考力のレベルの違いです。
まったくもって、同次元ではありません。
どんなに優秀な学者さんの脳みそでも。
較べること自体おかしい!
という意見もあるかもしれませんが、
どちらも、"なにかを処理する ちから" です。
ただ、データの蓄積量も処理能力も次元が違うのは明らかです。
かたや 数~数十億年の蓄積量 かたや 数~数十年の蓄積量です。
ではなぜ私たちはこの生命力を普段から
「 すごいことだ! 」
と感じられないのか?
答えは簡単、
全ての生命活動を自分で制御していたら、
うっかりどこかの制御を忘れてしまいまたたく間に死んで行くでしょう。
「 あ 心臓に気をとられていたら、肝臓のことをすっかり。。。 」
そう 私たちの仕事のいいわけレベルで、生命活動が進んでいくのです。
悪夢のような状況です。。。
ほとんどの人が脱落していくでしょう。
生命活動は無意識の制御下にあることが、必須条件なわけです。
さらに気をつけなければいけないのは、
生命力や原子の力に一味加えられるまでに至った研究成果の使い道を考えるのもまたこの思考なわけです。
自然の生命力にはるか及ばない思考の力で使い道を考えるわけです。
よくつかわれる 「 神の領域に踏み込んだ・・・ 」 という表現は、
こういう解釈からすると、少しも人間が神に近づいたわけではないことがわかります。
優劣はあれども所詮は人間の考えることです。