石油危機の時代 | 片桐あきひろオフィシャルブログ

石油危機の時代

元住友金属、現在の日本製鉄のOBの方との話です。
元硬式野球部で、現在も県内の野球観戦を楽しみにしているそうです。

夏の甲子園大会の予選や地元和歌山大学の試合の応援にも出かけていて「地元に企業の社会人野球チームがないことが残念ですが、地元の学生が活躍してくれているのを楽しみにしています」と話してくれました。

現役時代、オイルショックの時代ですが、製鉄所に石油が入らない事態が生じたことがあったのです。

石油が不足していることから、当時の住友金属でさえ入手できない時代だったのです。

会社が石油を調達しなければならない時に担当だったので、「何とかしなければ」と石油会社と交渉をしたけれど、在庫がないことから難しい局面に陥ったのです。

そこで当時の片桐石油社長が「自分のところにある分を全て出しましょう」と言って住友金属に供給したのです。

「僕のお願いを聞いてくれて全ての在庫を供給してくれたことに感謝しました。危機的状況を脱することができたのは片桐社長のお陰なんです。それ以降、ご恩を忘れたことはありません。個人として、いつか恩返しをしなければならないと思っていました。だから片桐さんと出会えたことを嬉しく思っているのです。会社が本当に困った時に助けてくれた片桐社長に対して何も恩返しできなかったので、片桐さんの支援ができることを嬉しく思っています」という話をしてくれました。

これまでも助けてもらっていますが、今日、こうして話が出来たことを嬉しく思っています。

いつまでも恩を感じてくれていて、いつかご恩返しをしたいと言い続けてくれていることに感謝するばかりです。

日本全体が石油危機に見舞われて石油と石油関連製品がなくなった時代がありました。

当時は「石油がなくなってしまう」「トイレットペーパーもなくなる」などスーパーマーケットから商品が消え、しかも価格が高騰したのです。

あの時代、小学校では「石油は古代の動物や植物が堆積して油となって地中に埋まっている」と教えられ「そのため石油には限りがあるので採掘できる埋蔵量は約30年から50年ほど」と教えられました。

当時の小学生は「大人になる頃には石油がなくなっているので、どんな時代になっているのだろう。資源のない日本には新エネルギーが必要になる」と思っていたのです。

石油危機があったこともあり、1970年代には原子力発電が夢のエネルギーとして登場しました。

1970年の万博会場には、初めて原子力利用によって発電された電気が届けられたのです。

夢のエネルギーと言われ原子力に代表される、科学の進歩と科学技術が人類を豊かにすると信じた時代でした。

話はそれましたが、OBの方と話をしていて、わが国が石油危機の時代を乗り越えて現代があると思いました。

いつの時代もその時代固有の危機があり、叡智をもってそれを乗り越えてきたのです。

現代の危機は世界的には地球環境問題、日本では少子高齢化と人口減少、そして円安と金利のある世界への対応と言ったところでしょうか。

その時代を現役として乗り越えて来た経験者の話を聴くことは、今の時代を切り拓く叡智となります。

良い時間をいただいたことに感謝しています。

石油危機の話が出た矢先に東海村にある東海第二発電所の視察に行くことになりました。

日本で初めて原子力による電気を発電した発電所で、地球環境問題と原子力技術とこれまでの利用、そして将来のエネルギーの安定供給と電化シフトが進んだ場合の電源確保などの問題について学ぶ機会になりました。

一つのテーマで議論したことを、それに関わる現場に出掛けて説明を聴くことは勉強になるものです。

今回、視察を調整いただいた関係者の皆さんに感謝いたします。