掃除と日本人の心
阿弥陀寺の高木歓恒師の卓話を聴かせていただきました。
最初に、卓話とは広辞苑に掲載されていない言葉だと話がありました。
そのため定型的な話ではなく、結論を見出すことなく自由に話すことが出来るのが卓話だというところでしょうか。
今回は「日本の精神文化は世界一」をテーマに話をしてくれました。
昨年のWBCで、日本代表がオーストラリア代表と試合をした時のことです。
大谷翔平選手がライトスタンドにホームランを打ち、そのホームランボールを観客が拾ったのです。
その記念ボールを拾った大学生は写真を撮った後、隣の人にも記念撮影をしてもらおうとそのボールを渡したのです。
隣の人は大喜びで写真撮影を行い、そのまた隣の人、隣の人へとボールは渡っていきました。
そしてライトスタンドの最終の人が撮影をした後に、記念ボールはキャッチした大学生のところに戻って来たのです。
日本では当たり前のことで驚く話ではありません。
しかし外国のメディアは「日本の驚きの光景」で報道したのです。
アメリカのボールパークで選手が放ったホームランの記念ボールを知らない人に渡すと、キャッチした人のところには戻って来ないことから「驚きの光景」という報道になったのです。
ニュースを発信したアメリカ人記者は「これまで野球場でこんな光景は一度も見たことがない。日本は何と凄い国なんだ。日本人のような心を持った文化は羨ましい」と伝えたそうです。
日本人は秩序を重んじる民族で、その優れた精神性は他の国では見られないことが多くあり、世界一の精神文化を持っています。
その根本にあるものが、天地、自然を始め万物に畏敬の念を持っていることです。
天地を創った創造主、自然には神が宿っているなど、自然界、そして見えないものに畏敬の念を有しているのです。
だから「決して悪いことをしてはいけない」心を宿しています。
自然や見えないものを畏怖して敬う心が自然崇拝であり、これが日本人の精神性を高めている根底にあると思います。
これは和歌山県のみならず、日本の聖地である熊野信仰につながるものです。
古来より続いている自然には神が宿っているという自然信仰、自然崇拝の考え方は、日本人のDNAに刻まれています。
その精神性が大谷選手のホームランボールにまつわる話につながり、野球やサッカー、ラグビーなどの国際試合の後の日本の観客がスタンドを掃除して会場を立ち去る行為へとつながっているのです。
この日本人なら当たり前の行為が、外国のメディアにとっては信じられないような驚きなのです。
仏教の世界では、一に掃除、二に勤業、三に学問、火の用心と教えられているように、修行する人が最初にすべきことは掃除なのです。
掃除がその道に入った時の入門編であり、自分が生きられるのは周囲の方々のお陰であると悟ることになります。
他力本願とは他力で生かされていることであり、人は人の助けがなければ生きられないので、他力、つまり人に感謝をして生きることが日本人の心なのです。
人のお世話になって生かされていると分かれば「足るを知る」ことに辿り着きます。
そんな日本人の心が表に現れるのが、スポーツの国際試合の場になっています。