陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かす実行委員会定例会 | 片桐あきひろオフィシャルブログ

陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かす実行委員会定例会

「陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かす実行委員会」と「紀州宗光・龍馬会」の定例会に出席しました。

 

 

 

定例会では今年開催された旭川市での全国大会「龍馬World in旭川」の報告と令和6年に開催予定の和歌山大会の取り組みなどが議題となりました。

 

旭川大会は台風第14号の影響があり参加できませんでしたが、臼井事務局長が参加してくれたことから大会の様子を報告してくれました。

 

全国から龍馬会会員が集まった大規模な大会で、地元の旭川市長なども出席していたことの報告もありました。

 

 

旭川で大会が開催された理由の一つに、坂本龍馬は北海道の開拓を目指して何度も船での渡航を目指したけれど叶わなかったのですが、甥の坂本直寛氏が北海道に渡っていることがあります。

龍馬の夢はそこで叶えられたのです。

 

では龍馬が北海道を目指したのは何故でしょうか。

それは北辺を開拓することで北の脅威からわが国を防衛するためだったのです。

その頃は米国を始め列強が日本を訪れ始めた時期でもあり、当然、龍馬は北にはロシアの脅威を感じ取っていたと思います。

わが国にとって北辺の警備は新政府を発足させることと同じぐらいに重要な政策であることを見通していたと思うのです。

 

龍馬はその手紙において「蝦夷地に新しい国をつくることは、私の一生の願いである。一人でもやり遂げたい」と書いていたことから、北海道の開拓を決意していたことが伺えます。

 

 

旭川大会の隠れたテーマは「北の龍馬」であり、龍馬が感じていた北の脅威からわが国を護ることを現代社会に訴えようとしていたように思います。

残念ながら大会の空気に触れることができなかったので今日の大会報告から感じたことです。

和歌山大会においても、紀州と龍馬との物語を現代で伝えられると良いと思います。

ただ残念なことに、現時点では良い関係性が見つかっていないのです。

 

今日の定例会の旭川大会の報告の中で「和歌山県と龍馬は関係があるのですか」と質問されたことも聞いたので、意味のある大会にするためにも龍馬と宗光、そして和歌山県の関係性を訴えられるように考えていきます。

 

また令和5年は高知県四万十市で「龍馬World」が開催される予定です。

四万十市からの宣伝で「龍馬の居眠り堤」の話があったようです。

この話は次のような物語です。

 

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坂本竜馬が18歳のとき、四万十川の堤防工事に100人の人夫を使う責任者として参加していたのです。

改修工事には10の工区あり、それぞれが担当するチームが競争しながら工事を行っていました。

 

しかし龍馬は木によりかかって居眠りをするばかりだったのです。

でも不思議なことに龍馬が担当の区間の人夫はいきいきと働き、他の区間の半分の日数で工事を仕上げてしまったのです。

 

それは龍馬が工事の進捗に応じて褒美を与えていたのです。

それでメンバーの士気が高まりいち早く工事を完成させてしまったのです。

 

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以上のような趣旨の物語です。

これは寓話かも知れませんが、四万十川にある堤防の建設工事に龍馬が関わっていたとする地元で伝わっている物語なので、他の地域が否定することはできません。

 

四万十市は令和5年の全国大会開催において、この物語があることで市と龍馬との関係性を訴えることが可能になっているのです。

如何に地元に伝わる歴史を物語として育てることが大事なことであるかを物語っています。