心に残ったゲーム

2026.5.5


子供の日だし、せっかくだから私の若い頃からの趣味の話をしようと思う。


私はファミコン時代からゲームをやっている。

最初はファミコン、スーファミ、セガサターン、プレステ、プレステ2、ゲームボーイアドバンス、Wii、PCエンジン、3DS、パソコン、オンラインネットゲーム、プレステ3、Switch、プレステ4。


若い頃の流行はひと通りやって、結婚してからも暇を見つけてやり続けた。決してゲームが上手いとは思っていなかったけれど、ハマると永遠と同じものをやり続けるタイプ。


それが、ゲームの好みでもわかる。

まずゲームツクールシリーズ。これは最近までずっと買い続けて、気付けばコレクターになっていた。

パソコン版、スーファミ版、サターンとプレステ版、3DS版、Switch版。


若い頃黙々と繰り返してやっていた物は、俺の屍を越えてゆけ、ワールドネバーランド、ファイアーエムブレム、セブン(モールモースの騎兵隊)等の育成系を追求できるゲーム。

名前をつける、キャラを個別に戦略的に育てる、それを好きに組み合わせて戦闘をする、恋愛要素ありなどにハマる傾向があった。


他にも、ほとんど全てがRPGゲーム、シュミレーション、シュミレーションRPG。アクションもストーリーややり込み要素ががあるものを好み、評価を上げたり収集品を集めたりを繰り返しやっていた。


ボードゲームでハマったのも、いただきストリートのドラクエ、FF、マリオバージョン。これも、たくさんのゲーム機で購入し、何度もクリアした。


こんな性格だから、オンラインゲーム(現在のMMO)では、永遠と同じ事をやり続けていた。

特に制作系。服や武器、装備品などを作るのは、私自身の夢をそのままゲームで実行しただけだったのかもしれない。それを売ってはまた材料を買う。たくさんの店をうろうろと巡っては、掘り出し物を見つけて買い、作って売る。

これが最近になって、売り買いや取引ができないゲームが増えた。買うなら現実にお金を払って、運営から買うしかない。それでも、買ったり作ったりして、自分のアバターがその服装をするなら楽しかった。


私がゲームをする理由は、きっと作る事や現実でできない事を楽しむ事だ。本を読むように、ゲームのストーリーを楽しむ。キャラ育成や戦略やアイテム収集の達成感を楽しむ。オンラインゲームなら、やっぱり育成や収集品やゲーム内の戦略などを、友人と語り合ったりする。最近やったゲームでは音楽が作れたので、MIDIを現実から集めてきて、流してみんなで楽しんだ。それ以外にはあまりやる意味がない。今の人達は、いったい何を求めてゲームをするのだろう。


私は昔、キングオブキングスというゲームをやった事がある。これはナムコアンソロジー2というプレステのソフトに入っていた復刻版で、新しくプレステのリメイク版が作られて、ファミコン版も入っていた。私はそのどちらもやって、特にファミコン版を好んで何度もクリアした。

なぜそれに惹かれるのか。理由はわからないけれど、なぜか手に取りたくなる。


最近はメルカリでファミコン互換機を買って、ずっと集め続けて保管してあったファミコンを、使えるか確認した。セガサターンも買い直して確認。

懐かしくてついついやってしまったのが、伝説のオウガバトルと、シャイニングフォース3。

やらないまでも、過去にやりたくて中古ゲームショップを虱潰しに探したゲームを見つけて、弟や子供と語り合った。

オリュンポスの戦い、ヒトラーの復活、MOTHER、ドラゴンスレイヤーⅣ、太陽の神殿、火の鳥、ファザナドゥ、KONAMIワイワイワールド。

たくさん持っていた中から、特に取っておきたいものだけ大事になおして、残りは売る事にした。

そして、そのお金でもう一度やりたい物や持っておきたい物を買う事にした。


メルカリの売り買いは、オンラインゲームで売り買いしていた時と全く同じ気分。私は割といつも同じ事をゲームでも現実でもやっているのだなと改めて思った。

そして、趣味とは新しいものにばかりいかないのだとわかった。むしろ過去を懐かしみ、過去を振り返ってそれを手に取る。どんなに古いものでも、どんなに単純で繰り返しで、他人にはその面白さがわからなくても、本人にはそれが楽しい。

過去の自分を振り返り、過去の記憶と思い出を振り返る。本当は他人の価値や評価なんて、個人にはどうでもいい。その人の興味、その人の大切な物に価値があり、理解者がいるかどうかも関係がない。


そうやって個人が個人を大切にして生きていくから、人間社会はバランスよく続いていく。人間社会の構造のみが優先されるようになった時、その社会は壊れていく。

一人の個人が人間として満足に生きられる事で、人間社会全体が続いていくのだ。