今年3月23日に公園で凍死した状態で見つかった、当時中学2年生、14歳だった少女の母親の手記が公開された。

少女がいじめを受けていたこと、子育ての難しさ、等々、母親の置かれた立場を何となく理解する私である。

 

2人の娘(17歳と21歳)がいる私事だが、14歳位の年頃は、思春期であり、反抗期であり、片親として、難しい時間だったのかな。

特に、上の方には、手を焼いた。

 

私自身も、実は、その年頃は、学校で問題を起こし、母親が学校に何回か呼び出しを受けていた。

 

 

さて、本題だ。

少女の死に至るまでの学校・教委の対応に問題はなかったのだろうか?

 

少女の母親の手記によると、

教頭は、

「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。 10人ですよ。 1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。 もう一度、冷静に考えてみてください」と。

 

これが事実であるならば、教職者として、勿論、失格であり、校長職になるべきではない。

人間として失格だろう。

 

自分の子どもや孫が同じような境遇でも同じような考えに至るのだろうか?

 

 

最後に、何時ものごとく、最悪の結果になり(少女の死)、第三者調査委員会が設置されたようだ。

学校を監督する教委も、旭川市も、少女が死に至り、この事案が全国に知れ渡ることになり、動かざるを得なくなったのだろう。

 

もし、少女が死を選択しなかったら、上記の学校側(教頭等)の対応に、被害者(少女)は泣き寝入りするしか選択肢がなかったのではないかな。

 

事なかれ主義の、教委と旭川市。

 

さらに、これだけの問題の大きさに対し、市民の代弁者の旭川市議会の議員は、何をしよるのかね。

議員・議会が行政側の下請け機関になっていないかね。

!!!