亡くなった母に母の日にあげた胡蝶蘭 | kasumiso-akiのブログ

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長男夫婦と孫二人、次男社会人3年、三男大学1年生
団子三兄弟
扶養内で働いてます。
日々のお弁当や
仕事のこと
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日々の生活で感じたことを
愚痴も含めて
徒然なるままに書いていきます。

月曜日の旦那弁当、自分弁当、次男弁当お弁当

うお座鯵フライ弁当
ワカメ、カニかま、🥒の酢の物
ポテトサラダ
金平ごぼう
カニかま竹輪
竹輪🥒
卵焼き
ゼリーとミニ🍅


昨日の夕食

豚の味噌焼き
🎃マーガリンソテー 
ポテトサラダ
お味噌汁
🍅




もうすぐ母の一年忌

姉が関東から帰ってきて、実家に泊まるので、実家にフラりと父の顔を見に行ってみた。

台所の窓の胡蝶蘭

わたしが亡くなった母にあげた胡蝶蘭
父に「また、咲いたねおねがいきれいだね」と言うと
「毎朝、湯飲みで一杯飲ませてあげるのだ」と父が言う。

「この鉢の下にカップをおいて、水がたまらないようにしてるのがいいんだよね!!」とわたしが言うと「心がいいのよ!!ニヤリ」なーんて父が言っていた。

ほんとに、もう何年咲いたんだろう!?

だって、まだ、母が元気に仕事してた頃だと思うんです。

自転車で倒れて大腿骨をおいて骨折してから、一年、一年とだんだんと動けなくなっていった母

わたしは、何をしてあげられたんだろう!?となんだか申し訳なくなる時がある。

病院や施設に着替えを取りに行って、声をかけて、それを洗濯してた。

それが自分の精一杯だった。

いればいるほど、愚痴しかいわなくなっていたりもしたから、あまり長くもいれなかった。

ただ一つよかったと思えたのは、

一度、ほんとに動けなくなる前にと思い。

歩行器の母を旦那と長男夫婦と三男とでバラ園に連れて行って弁当を食べてもらって、ソフトクリームも食べたことがあって、

その時のことを母が
「あの時が幸せだった」と言ってくれたあの時の写真とこの言葉が今のわたしを励ましている。

紫陽花が咲き始める頃に産まれて、同じ頃に結婚もして、時を同じくして亡くなりました。

思い出すとまだやはり寂しいな

でも、一つよかったと思えたのは、近くにいてあげて、いっぱいありがとうと言えたことだと思っている。


そんなことを思った昨日でした。