テレビでおなじみの「水戸黄門」。
「黄門様」こと水戸光圀といえば、立派な白いひげをたくわえた好々爺のイメージが強いですね
しかし、当然のことながら、ご老公にだって幼少時代や青春時代はありました。
そんな若かりしころの黄門様のお話…
あるとき、光圀の父徳川頼房は罪人を斬り、その首を桜の馬場に置いてきました。
その夜、頼房は7歳の光圀を呼び、「罪人の首をもってきなさい」と命じました。
桜の馬場は江戸・小石川の館から4町(約450メートル)離れています。
夜中にそんなことを命じる親も親ですが、顔色ひとつ変えず、すっと座を立った光圀も怖いもの知らずです。
馬場に着いた光圀は、真っ暗でよく見えないので、なんと手探りで首を探しあてると、髻(髪の毛をまとめて束ねたところ)をむんずとつかみ、引きずってはちょっと休みを繰り返しながら父の待つ座敷まで運びました。
すると頼房は満面の笑顔で喜び、差していた脇差を褒美に与えたそうです。
茨城県人は「水戸っぽ」と称されるように、「骨っぽく」「質実剛健」な県民性が特徴ですが、黄門様は子どものころから筋金入りの水戸っぽだったのです