初めて2日連続でまーさんに電話をする。

迷惑かな?面倒くさいかな?と逡巡したが、「明日も電話しても良いよ」と言っていたので、かけてみる。

ちょうど次のデートの事で、決めておきたいこともあるし。




「どうしたの?何かあったの?」

と言いつつ、話し相手になってくれるまーさん。

そんなに嫌がってる風はない。

そしてすぐに切ろうともしない。

デートの待ち合わせ場所を決め、何を食べようかを話し、ダラダラ日常会話をする。




さすがに昨日も話したし、そんなに話題がある訳ではない。

けど切り上げようとする訳でもないので、ダラダラのんびり話す。

今日はもう家にいるからか、声が甘めである。




体調も昨日よりはマシらしい。

風邪薬も飲んでいるという。

だからか声にハリもあるし、少し元気になっているようだ。

つくづく思うが、恋愛も健康じゃないとできない。




体が弱っていたら恋愛どころではない。

まず何をするにも、体が資本だ。

心身共に健康でないと、心がときめく恋愛も体がウズウズするセックスもできやしない。

自分もそうだし、相手を見ていてもそう感じる。




「まーさんは電話するの嬉しい?」

「うん、嬉しいよ。けどカオルさんが安心するからっていうのがあるかな」

「私が哀しんだり淋しくなると心配だから?」

「そう、カオルさんが淋しくなると心配だよ」




そんな風に思うんだ…

不思議だなぁ、私と全然感覚が違う。

私はまーさんの声が聞きたくて、話したくて、安心したくて電話するし。

相手から同じく「声聞きたかったから」と、電話がくると嬉しいけど。




まーさんは私が淋しくないように、電話をしてくれているんだ。

相手の喜び有りきなんだなぁ、まーさんは。

「それって、愛だね。愛を感じるよ」

「良かった、愛だと感じてくれて。電話もLINEも好きじゃなきゃできないんだよ」




まーさんがホッとしたように言う。

そりゃあそうだ、1日3回の定期的なLINEのやりとりも、たまにの長電話も、好きじゃないとやってられないよね。

まーさんて、意外と奉仕的な気持ちを持っているのよね。




自分の喜びが主体というよりは、私の喜びが主体で、そこに喜びを感じているようだ。

まーさん自らの気持ちで動いてほしい、とも思うけど、私の喜ぶことをしたい、私を哀しませたくない、という気持ちにはキュンとくる。




人の愛のかたちは人それぞれなんだなぁ。

愛のかたちも量も重さも量れないし、目に見えないから難しいなぁ。

ちゃんと自分にそれを感じられる器がないと、わからないもんなぁ。




うだうだとまた1時間ほど話し、電話を切り上げる。

終わりがなく、いつまででも話してしまう。

毎日話しても飽きないかも。

夫と毎日話す定時連絡のように、まーさんとも毎日電話するのもアリかもしれない。




心が落ち着いて、程よい疲れでぐっすり眠れたカオルだった。