2日に渡るまーさんとの長電話で、いつもの調子が狂うカオル。
いつもは22時には就寝するのに、0時過ぎてしまうし。
朝から仕事に行くまでの時間も、電話に費やしてしまう。
まーさんとの初めての長時間通話に、愛が深まったような気がしていたが。
自分の生活リズムも乱れるし、気持ちもソワソワしだす。
電話するのが当たり前になると、無い状態が心細く感じるのだ。
恐ろしい!
たった2日の間に、自分軸がブレて他人軸になっている!
こんな一瞬で、相手に依存してしまうなんて。
この状態を昔なら、恋に陶酔した非日常として、浮かれていたかもしれないが。
今はただただ恐ろしい。
自分を見失ってしまうことの怖さ。
相手からの気持ちに依存してしまうことの恐怖。
もう二度と自分をおざなりにした恋愛はしたくないと、カオルはとしきの時に誓ったのだ。
相手にどっぷり浸かってしまう状態が、恋愛というものだと昔は思い、それを良しとしていたけど。
どっぷりハマれないと、それは恋ではないのだと思っていたけど。
それは違うのだと、やっと気付いたのだ。
職場の30代前半の男子Iくんに、LINEで長電話するのは今時の人には当たり前なのか?と調査すると、ハイ、という返事が。
陰キャでコミュ障のIくんですら、学生時代は仲の良い友達と一晩中LINEを繋げて長電話していたと言う。
なんということだ、、、
私はすっかり勘違いしていたんだ。
まーさんの長電話は、愛情表現だと思っていたのに、ただの世代間の文化風習の違いだったとは。
はぁ、またもや私は一人恋愛に陶酔して、のめり込んで相手の存在に依存するところだった。
Iくんの言葉に愕然として、落胆する。
そして我に帰る。
いくら恋がお互いの勘違いから起こるものだと言えども、自分のペースは失いたくない。
自分が自分のことを一番好きなまま、相手と愛し合いたい。
決して自分の一番を相手に明け渡したくはない。
絶対的一番の玉座に自分が座っていて、相手はその下である。
まーさんとの通話が終わった後に変な淋しさが続いたのは、彼と繋がっていないからではない。
自分との繋がりが途切れてしまっていたからだ。
他人である彼に注意が向きすぎて、自分への関心が薄れていたからだ。
そしてその足りない注意を、相手に求めようとしていたからだ。
恐るべし、依存心の悪循環。
もっと自分に愛を向けなくては。
もっともっとと渇望するのは、自分から自分への愛が足りないから。
しっかり自分に、注意と注目と愛を向けようと決意するカオルだった。