言葉を遠ざけても形がないから常に私の隣に在る。
白紙に広がる無限の可能性。
真ん中だけの白を残して他を染めることくらい容易いことだ。
随分前から日常とは?と考える時間が増えた。
ここまで家族と共に同じサイクルで生活をするのは、この職に就いてから初めての事だ。
正直、子供返りしてる。
マイペースがマイマイペースになっている。
こんな言葉無いけどね。
朝起きてとりあえずポットにある白湯を飲み。
昨日の残りご飯で朝食をとる。
歯を磨き。顔を洗い。髪を結ぶ。
猫のトイレ掃除。水換え。
その後に、これまで母がやっていた家事を妹と共にこなす。
空いた時間に、趣味の勉強や仲間たちとの共同作業を進める。
お風呂が沸くまでにストレッチや筋トレをしお風呂を上がると映画を見るかゲームをし布団に入ったら本を読む。
これが今の私のルーティン。
家事は、仕事や義務と感じたら楽しくない。
昔から一番縛られたくないもの。
自分のやりたいペースだとゴールへ向かう過程が苦にならずに楽しめる事を知っているから。
この日常を繰り返すうちに分かったことがあった。
気づいた人、余裕がある人、早く終える理由がある人が家という名の狭い世界を作り上げていた"当たり前"を。
家族という日常の中には、感情も付き物だ。
好きだけじゃなく嫌いなところもある。
理解できない価値観と対面する度に腹が立つ。
暴れる。泣く。叫ぶ。いじける。
けれど、無理矢理にでも噛み砕いて消化する努力をしないといつまで経っても痛くて苦しくて呼吸し辛い。
家族であれ人と人。
理解し合う難しさ。
それを違う対象に置き換えるともっと大きな距離が存在する。
油性ペンで書かれ消すことが難しい現実だ。
それでも譲り合いを重ねて過ぎて行く日常の中、繋がり続けていたいと思える存在が少なからずいる。
一つ一つの関係性の理由。
安心。甘え。尊敬。温もり。優しさ。対等。信頼。共有してきた時の流れ。
それぞれ一つに絞ることなんて出来やしない。
"ここにいる特別よりもそこに居て当たり前が自然と感じられる人"を、どの距離でどの想いで向き合うのか?
非日常が日常である今。
人の心の伸縮性を問うには、いいタイミングだな思うのでした。
それでは
かすみ