治療室の音楽 ~ 乾いた音楽
まだ先の話とはいえ、日本の夏は熱さに加えて湿気がひどい。そういう季節を少しでもしのぎやすく過ごせる音楽を求めています。
湿気の多いときには、乾いた音楽が好いのではないか。乾いた音楽とは、乾燥した風土のなかで生まれた音楽にちがいありません。
乾いた風土といえば砂漠です。サハラ砂漠にアラビア砂漠。つまりアラブ、イスラム世界の音楽を捜してきましたが、こちらの身勝手な注文にかなうアルバムになかなか出会いませんでした。
たしかに「民族音楽」というジャンルにはイラク・イラン・トルコなど国別の各種の伝統音楽をまとめたアルバムがいくつかあります。中にはこれは好いな、という曲も入ってはいますが、アルバムぜんたいとしては、民俗資料の趣きでいっこうに楽しめない。
逆に現在のアラブ各国でヒットしているポップスも輸入盤で買うこともできますが、なんの知識も無い所に手を出しても、無駄な出費になるだけです。
それが先月、NHK-FMを店で流していたら、あっ、これは行けるのではないか、という音が耳に入ってきました。意識して聞いていたわけではないので、NHKの番組表サイトで調べました。(こういう点は便利になりました)
それがこのアルバム。『タリーク(道)』
NHKの『シルクロード』のための音楽で、常味裕司という人のウードを中心とした音楽です。
ウードはペルシャ起原の弦を弾く楽器。東は日本にまで渡って琵琶になり、西はヨーロッパのリュートになりました。アラブ世界ではウードは、フォークソングのギター、江戸音楽の三味線のように、アラブ音楽では特別重要な位置を占めているようです。
歌の伴奏に欠かせず、アンサンブルの要でもあり、またソロの即興(タクシーム)もあります。
ウードは弦の張りがギターより緩めで、ドローンと楽器の胴のなかにこもった音がします。その響きが乾いて、木質の日向くさい感じが好ましい。
常味裕司はこの楽器に魅かれて、なんとモロッコにまで師匠を求めて修行してきました。
ウードが写っている写真を載せておきますが、CDの宣伝帯に「微分音の快楽」とあります。ペルシャの音楽は半音のもう半分、微妙に狂ったような音階に、妖しいノスタルジーを揺すぶられます。
このアルバムの17曲のうち、9曲が常味氏のソロでタクシーム何がし、となっています。
常味氏のウードのほかに、カーヌーン(サントゥール)レック(タンバリン)の民族楽器とバイオリン3人、コントラバスのアンサンブルで、演奏されました。録音は2007年、NHKのスタジオ。
昔の『シルクロード』には喜太郎のシンセサイザーのうそ臭い音楽(失礼!)がついていましたが、今度は本当に現地で鳴っている音楽を入れたいという希望で作られた企画です。
日本のスタジオなので、録音の空気感が湿度が高い気がするのは少し残念なところ。
治療室でかけていても、ゆったり落ち着いた曲ばかりで、こちらも患者さんも気にならない。たまに「トルコの音楽?」と耳のよい人が聞くくらいです。
アマゾンですぐに手に入ります。3000円。
2枚目は、ファイルーズ(1935- )レバノン出身の歌手。
イスラム教ではコーランはアラビア語で読まなければいけません。だからアラビア語で歌えば、イスラム圏ぜんたいが市場となって大きなセールスが期待できます。
と単純に思っていましたが、外国にいた方のまた聞きでは、コーランの言葉はいまは使われない。標準的な現代のアラビア語はあるが、地域差はあるそうです。
さて、ファイルーズは1950年代から最近まで、アラブ歌謡の女王として君臨し、すぐれた作曲家、プロデューサーに恵まれて、名作を次々に送り出してきました。そんな訳でアラブ世界の外にも名の知られた歌手でした。
ファイルーズはアラビア語でターコイズ(トルコ石)のこと。彼女の声からくるあだ名でしょうね。女としてはすごく低く重さのある、深緑のベルベットのような声。しかしどこかザラッと乾いていて、まとわりつかない。
アラブ世界の女性歌手はみんな声が低い。それがアラブの男の好みなんでしょう。キャンキャンしたガールズポップなんかは無いんでしょうかね?
イスラム圏で仕事をしていますが、彼女じしんはレバノンのキリスト教徒です。レバノンは人口の半数がキリスト教ですから。
北インドからペルシャ、トルコあたりには、日本人にはちょっと近寄り難いような、ギリシャ彫刻みたいに彫りの深い美人がいますよね。ファイルーズも上の写真のようにそういう美人です。
彼女のアルバムは、国内盤もいくつも出ていて、ネットですこし捜せば手に入ります。
彼女の声は人により好みが分かれるでしょう。私もすごく上手い歌手、独特の深い声、というのは素直に認めますが、ずっと聞いておりたいか?というと、ちょっとしんどい。しかし、患者さんによって好きだ、という方もあります。
こちらはレバノンのお隣、イスラエルの名歌手オフラ・ハザ(1957-2000)
以前、<世界一上手い歌手>というリストを構想していました。彼女はサンバのガル・コスタ、声楽のジェシー・ノーマンらと肩を並べる位置に入ります。
とにかく咽喉、声が素晴らしい。どこまでも強く伸びて行く中身のつまった、エロティックだけど清潔な声。正確な音程(当たり前だけど)。どんなに早口のパッセージでも決して乱れないリズム感、スピード感。
イエメン系の難民の家に生まれて、10代からプロとして活躍し、イスラエル国内では早くに高い評価を受けていましたが、いかんせんマーケットが小さい。
80年代になってヨーロッパのヒップホップアーティストが、彼女のどこまでも伸びる素晴らしい声に目をつけて、サンプリングして使い始めた。そうやって彼女は世界に登場してきました。
上のCDは『Shirrei Moldet 』祖国の歌。
じつは20年前に中古のイスラエル盤のLPで手に入れました。なんでイスラエル盤が四国の田舎町にあったのか?
その出来があまりに素晴らしかったので、CDになってから、彼女のアルバムをいくつか買ってみました。彼女はアメリカの会社と契約して、英語の歌もうたわされていますが、どれも平凡な出来ばかり。
調べて分かったのは「Shirrei Moldet 」はイスラエル時代に作ったもので、LPでは1と2があった。それを合わせてCD化してものがイスラエルにはある。仕方がないので、ネット通販でエルサレムから取り寄せました。
ファイルーズが安定した市場で名作を連発できたのとは対照的に、彼女はイスラエルという小さな市場で、アレンジャーやプロデューサーに恵まれず、田舎臭い作品を作っていました。
90年代に急に外の世界に出て行ったけれど、私が好きなのは田舎臭いユダヤ・メロディーを歌うオフラ・ハザだったんでしょう。
唯一、旧ユーゴの作曲家、G.ブレコヴィチが映画「王妃マルゴ」のテーマ曲を歌わせたものは、ユダヤメロディとセンスが合って、彼女のベストソングといえます。
その後、彼女に関して届いたニュースの一つは、95年、パレスチナとのオスロ合意を締結したラビン首相が暗殺され、その葬儀で彼女が歌ったこと。
次は、2000年。彼女じしんが呼吸器系の病気で、43歳で死んだというもの。早すぎる死は、世界中のファンに大きなショックでした。そして、わたしも。
彼女のアルバムは、まだネットで手に入りますが、彼女がどんなに優れた歌手だったのか、なんで私がこんなに力んで紹介するのか、分かってもらえるかしら。ユーチューブやらで見て貰えるといいかな。