子どもを「希望の園」に通わせられるありがたさ その2 | 特定非営利活動法人 あいちかすがいっこ

特定非営利活動法人 あいちかすがいっこ

ママのはじめの一歩を応援!「ママ」にしかできない・「ママ」になったからできることがある。

こんにちは。
今年度も今日で終わり。
先週、息子は保育園を卒園し、
今日2人で通う保育園ラストに送り出しました。


「保育園落ちた。日本死ね」
という話題が、世間を賑わせている昨今。
前回のお話はこちらへ・・

続きを書かせていただきます。
そもそも
幼稚園と保育園の違い
について、みなさん理解をされてますか?
わたしはちゃんと調べてみました。

そして、次に長男が未就学園児(0~3歳)から年少さんになったときにどんな自分(わたし)で有りたいか?を考えました。

「子どもにとって何がよかったかなんて、大人にならないと分からない」
なんて究極論を主人は言っていましたし、
行きたいところに行かせてやれ」
と無茶なことも言っていました。(3歳の子どもがそんなことできるのか?と思いました)

保育園をそもそも経験したことがない私は、まずは
保育園を知りたいと思いました。
人から聞くのではなく、自分で調べようと。

幸い、下の子の出産時に「産前産後の保育」をお願いすることができ、保育園を知ることが出来ました。

息子は友だちを作ることが出来ました。
(今春からの小学校区の保育園だったため、6歳から顔を合わせることになるだろうお友達に出会うことが出来ました。)

男の子は「元気に遊び、挨拶は大きな声で自分から」出来れば良い。
私たち夫婦はそこだけは一致し、
息子が「○○くんが居るとこにいきたい」と言ったことがきっかけで保育園入園を考えました。

冒頭に書いたように、保育園にも入園の条件があります。
春日井市の保育園についてはコチラ
あいちかすがいっこ広場 知ってる?春日井市のこんなこと
春日井市の保育園について

そして、そこから私の今の働き方が生まれました。
長男が無事入園し、下の子が1歳になるまでは、特に園について考える時期でもなく、
「子連れでできること」「子連れで社会と関われるのか」「子連れで仕事ができるのか」
などと思いながら動いていました。

子どもが成長するように、任意団体からNPOへ。
あいちかすがいっこのカタチも変わってきました。
それと同時に私の働き方を考える時期にもなりました。

先日無事に終えることが出来たママの文化祭。
第1回のときはおんぶ紐で娘は私の背中に。
第2回は民間の託児所へ。
第3回は春日井市の保育園へ。

子どものために・・・という選択ではなく、私がどうしたいのか?をずっと考えました。
専業主婦と空いた時間を利用してかすがいっこで動き、幼稚園に通わせたい!
のか、
今の働き方を維持・またはそれ以上動くために保育園を希望するのか?
または、
延長保育を利用して幼稚園にするのか?
夏休み冬休みは子連れで仕事するのか?
短縮のときは仕事は午後からどうするのか?

・・・出てくる出てくる、悩ませる問題が。
(幼稚園に通わすママが周りにはたくさんいるので、
幼稚園ママのつぶやきをたくさん耳にすることが出来ましたので、悩みの種を生み出すのは
容易でした w)

そして、最後には旦那さんの声が。
「誰かに頼ったり甘えたりすることを前提じゃない選択をしろ」と。

きゃーーー!!!なんて難しいことを言うの!?
と思いました。

「何で私に決めさせるの!?」
なんて言い合ったこともあります。
でも、最終的に言われたのは
「ママが日中は子どもを見ているわけだから、ママが決めることだろ!」

そうか!!
たしかにそうだ!!
よし、じゃあ、年少さんの1つ下のクラスへ希望を出そう!!➡︎いわゆる世間で1番困るクラス「待機児童」になりうるクラスです。

なぜなら、未満児は先生の数だって年少クラスよりもたくさん必要になってきます。
保育士不足が騒がれる中、そのクラスを拡大することがどれだけ難しいか私も通わせて気づくことができました。

そこから申請し、希望の園に落ち、再度春日井市全域に広げ申し立てをし、承諾されたのは、
忘れもしない3月23日
入園まで約1週間という時期でした。

一年を振り返り、
保育園という選択をし、入園させていただき
通えたことに本当に感謝しています。

息子には3年お世話になった先生がおらず、
周りの小さな頃からの成長を知っている先生方と
涙溢れる姿がうらやましかった、、

ですが、1年間通った園は、
素晴らしく素敵な園だったと、わたしは思っています。

不承認を受け取り、保育課へ問い合わせをされていない方、
保育課と話をし、待機児童となった方々が
1日でも早く入園先が決まり、
「安心」を手に入れられることを願っています。

娘は来年、年少さん。
希望の園に入れることに感謝しなくてはいけないと感じました。