しばらく間が空きましたが、江戸古地図ウォーキングシリーズ、再開します。前回は柳橋で行きな端唄を紹介しましたが、そこから数十メートル移動したところに火事の際の延焼防止のための火除け地であった旧跡・両国広小路があります。火事と喧嘩は江戸の華といわれたくらいに火事が多かった江戸の町でならではの旧跡です。旧跡両国広小路から南に5分ほど行ったところに川崎大師の東京別院の薬研掘不動院があります。薬研堀不動院は講談発祥の地であり、また順天堂発祥の地でのあります。
 
写真は拡大して見てください。

江戸古地図両国付近
拡大してみてください。のところを回りました。
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両国広小路跡
江戸三大広小路(上野、浅草、両国)の一つ
柳の木の陰の青信号の先は両国橋、左の赤信号の先は柳橋
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両国広小路跡の近く信号名・中央区両国橋西
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旧跡両国広小路の古地図の碑
赤枠が両国広小路、破線枠が薬研堀
拡大して見てください。
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古地図の碑の裏側
両国広小路は火事の際の延焼防止のための火除け地だったようです。
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両国広小路跡から薬研堀不動院への
次の信号を左折すると薬研堀不動尊です。
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薬研堀への角
某旅行社の旗をもっているのが今回のツアーの担当者
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薬研堀への角
やげん堀辻講釈の会の案内が貼ってありました。
薬研堀不動院は講談とゆかりが深く、
昭和57年5月に一龍斎貞花先生による第1回奉納講談「山内一豊の妻」が
おこなわれて以来、毎月28日のお不動さまのご縁日には奉納講談が
おこなわれているそうです。
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薬研堀不動院
川崎大師の東京別院です。古くから目黒、目白と並び江戸三大不動として知られ『江戸名所図会』をはじめ多くの文献に紹介されています。
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薬研堀不動院の焼香所
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薬研堀不動院の相輪
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薬研堀不動院の中庭
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薬研堀不動院の中庭の弘法大師像
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薬研堀不動院の中庭の順天堂発祥の地の石碑
碑の側面に、「天保9年(西暦1838年)順天堂始祖佐藤泰然この地に
和蘭医学塾を開く」と記されています。薬研堀に和田塾を開き、1843年佐倉藩主堀田正睦の招きで江戸から佐倉に移住し、病院兼蘭医学塾佐倉順天堂を開設。これが現在の順天堂大学の礎となっています。
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薬研堀不動院の中庭の納めのの市之碑
江戸からの歳の市(正月用品を売り出す市のこと)の伝統を
今に伝えるのは薬研堀と浅草の羽子板市だけになっています。
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薬研堀不動尊院近くの横丁から見えたスカイツリー
下の方に見えるのは首都高速と両国橋
東京の電線を地中に埋める計画進んでいますかね。
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撮影:2017年5月8日
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