起きてみて(といってもずいぶん遅い時間)、「おおっ」と思いました。・・・・なんと、今日は予定がありません。主婦は本来ならばお盆は激忙しいはずですが、自分は帰省しないし、逆にまだ孫とかいないし、で、ひさしぶりにボーっです。
考えてみれば5日に大阪まで本選を受けに行って以来、12日の昨日までに、
子供の習い事のお伴2回、コンサートを聴きにいくこと3回、プール当番1回、1泊2日の帰省1セット、飲み1回、
・・・が入りましたので、考えてみればこの暑いなか、腰痛抱えてよく動き回ったな、と。
昨日はまたまた若い方々のコンサート(1時半から7時半くらいまで。出演者は高校生~大学院生)があり、私は最初の1時間半くらいを聴きました。
私には手も足も出ないような難曲がずらずらっと並んでいるわけですけど、若い方々の演奏に関しては「聴衆としての厳しい耳」で聴くことにしてます。芸術といっても、だんだんと商品価値のあるものになっていかないと将来的に仕事として成立しないわけなので。
私がデパートに入社当時、お辞儀の角度ひとつ、包装紙のシワひとつ、セロテープの切り方ひとつでボコボコに叱られていたのと、基本の基本のところでは同じです。
今では簡素化のため、包装はあまりされなくなりましたけど、当時は、何を買ってもビシーッと目の覚めるような包装をされてこそ老舗の百貨店で買った価値があったわけであり、いわんや中身にはなんの間違いもあってはなりませんでした。
(デパートの話はちょっとおいといて)
よほどの巨匠とか飛びぬけた才能だったら別ですけど、若いうちは「とりあえず彼(彼女)なら、ある一定以上のクオリティは間違いはない」と言う<折り紙>がついていると、企画する方も声をかけやすいはず。
で、弾かせてみたら、一定のクオリティは間違いないけど、それだけでなくて、どこか言葉にはできない「タマラナイ」ところがある・・・となれば、「あれはなんだったんだろう??次また聴いて正体をみたい」みたいになり、リピーターがつくんだと思います。
昨晩、飲みの席で、「健康な演奏だけど、あきてしまう演奏」と「超不健康なのに、なんか気になる演奏」が話題にのぼりました。
それぞれ具体的にアーティスト名も出たわけなんですが(笑)、
相手が世界的超高レベルのピアニストであっても、聴き手としては「うまかったけど、次はもういいや」という事がふつうにあるわけで(もちろんみながみな、同じ反応というわけではないわけですけど)、
そこんとこの違いは何なんだろう・・・・という非常に難儀なところへ話が至りました。
若い方々は、技術的クオリティをあげ、商品価値の生じる次元にもちこむのが目下の課題かと思いますけど、
同時に(これも昨晩の飲みの席で出た話しですけど)、自分で自分の天井を作らず、恐れずやれるだけのことをやってみる・・・・別に楽器の練習に限らないことですが。
プロの演奏にしても、自分で自分の天井を作ってしまっている人の演奏の演奏はすぐわかってしまうものですし、感動もしません。
天井を作らないということは、努力の果てもないということで、同時にいくつになっても批判にさらされることを厭わず、弾き続けるということにもつながると思います。
たぶん本当の意味で「自分の演奏を気にしている」人は、自分が自分のいちばん厳しい聴き手でもあり、自分の演奏があるところにとどまることを自分自身が赦さないのでないか・・・・そうなると、聴き手も「次はもういいや」という気にはならないのではないか・・・・・
それは「自分の演奏の<評価>を気にする」人との違いにもつながってくるのかな、と思ったり。
若い方々は日々厳しい練習をされているとは思いますが、ぜひ、迷って悩んで(外からの指導による一喜一憂ではなく、自分自身と向き合って)、ズダボロになりながらもじりじりと進んでいただきたいです。そういう演奏は、うまく行った時でもうまくいかなかったときでも、ちゃんと聴き、見守っている大人は必ずいますから。
