本日の朝日新聞、「惜別」のページに音楽評論家の故吉田秀和氏についての文章がありました。
冒頭の文章を下に引用いたします。
「 音楽家は、言葉からこぼれ落ちる思いを音にする。その音の数々に追いすがり、ふたたび言葉へと導く。音楽について書くことは、永遠に矛盾を追うようなものだ。その矛盾と心豊かに戯れた、不世出の才人だった。」
・・・・・名文であります。じーんときました。吉田秀和氏はもちろん不世出の才人なのであるけれど、この文章を書いた方もまたすばらしい。そして、私はこの書き手の文章をこれまでも実は何度も拝読しております。
書き手は・・・・・朝日新聞記者、吉田純子さん。
非常に印象に残る音楽評を書かれる方で、これまでも彼女の知識・感性、そして文章力に心より脱帽していたのですが、今日はついに辛抱たまらなくなり検索してみました。
このような方でした。→ 音大へ行こう
初めて、お写真それにプロフィールを知ったのですが、非常に好感を持ちました。これまで文章から受けていた印象ぴったりな感じ。それにしても、音楽だけでなく、いろんな分野を担当されてきたのですね。
上記のリンク記事(インタビュー)のなかで印象的だったのが次の部分です。
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吉田:そう。それに音楽業界の人間よりも一般の聴衆のほうが実は時代の風を鋭く感じている時がある、と私は思うんですよ。それを感じたのが漫画『のだめカンタービレ』(※1)のときだったんですね。この漫画が1巻か2巻発表された頃、私は「これはニュースになる」と確信して記事にしました。『のだめカンタービレ』という漫画はすごい漫画で、いわゆるみんなが知っているような有名な作曲家の曲はほとんど出てこない。いきなりバルトークとかですから。それで当時、東芝EMIが関連CDを3000枚発売して、即完売したんですが、それ以上は契約上作れなかったんですね。それで私は、もったいないことをしたと記事に書きました。それから1~2年経ってブームが起こりましたが、一番反応が遅かったのは音楽業界だったのです。ようするに音楽業界は「モーツァルトを聞かせておけばお客さんは喜ぶもの」と、お客さんの敷居はいつも下げてあげないといけないと思いこんでいるんです。そこを『のだめカンタービレ』は、敷居を下げずにクラシックの魅力を真正面からぶつけてきた。そのことに業界は気付かなかった。でも読者はすぐに気付いた。業界の中に居すぎると、感度がよくなくなるんです。だから、普段業界内で言い合っているようなことが自分の常識にならないように気をつけないと、自分が書きたいものが書けないと私は思っています。
― ― そういう立ち居地のようなものは、新聞記者にとってとても重要な気がします。
吉田:どこにも寄っちゃいけないんですね。そして入れ込んでもいけない。個人的には、この人を応援したいとか、この音楽が好きというのはあるべきですけど、説得するには、客観性が必要です。そのうえで、そのうえで、対象に対する愛情もなくてはいけない。
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・・・・・なるほど。
ピアニストとしても伴奏等のお仕事をされているようで、このあたりも、印象深い音楽評につながっているのかな、と思います。
音大へ行かれたことの意味・意義もきちんと説明されていて、ひとつひとつの言葉に説得力があります。
これからも読んでいきたい記者さん、いや文章家のひとり。
