ここのところ、結構マジメに練習してます。

「してます」というよりは、「することができます」と言ったほうがいいですかね(笑)。

<昼間家族がいない><寒いし天気悪いので外出していない><差し迫った悩みや事件が今のところない>

の三拍子そろってます。

実はこういう日々というのは、一年のうちではほんのわずかな日数なので、集中できるときにやらなければあとで後悔します。

今年80歳の黒井千次氏(芥川賞選考委員を今回を最後に退任)は、

<残された時間とやるべき仕事を考えて、なるべく集中してエネルギーを分散しないように心がけて>おられるそうです。

『文藝春秋』によると、そしてこうおっしゃってます。

「ただ、途中で終わることを恐れてはいけません。何かを完成させようという心がけは大事ですが、人間はいつ死ぬか自分ではわからない。生きている途中で死ぬのだから、途中で終わることは人間にとって自然なことなんです」

私は、高齢でもないし、芸術家でもないし、なにかを完成させなければならないという使命もないので、この言葉を真に理解するのは無理ですけど、

「生きている途中で死ぬ」のだけは、おそらく人間として同じだと思うので、

「なるべく集中してエネルギーを分散させないように」は心がけていきたいな、と思っております。

 

・・・・・・とめずらしくマジメに語ったところで、さらにマジメに語ってみたいと思います(笑)。

 

先日の「ピアノを弾くからだ」というセミナーでのことですけど、

講師の先生が「ピアノは予測して鳴らす楽器です」と言われました。

「打鍵をしたら、そのあとはもうビブラートもなにもかけられない。次の音、次の音と準備して弾かなければならない」ということでした。

で、そのときに一緒に話されたのかどうか忘れてしまいましたけど、

「ピアニストが(顔面に)表情がでるのは、次の音を探している、こういう音を出そうと準備しているから」(ちょっと言い回しは違ったかもしれません・・・)

ということもおっしゃいました。

今となっては、当たり前のように感じる内容なんですけど、以前だったら「そうなんだ~、へ~~」ときいたかもしれません。

数年前、ボチボチコンサートに行き始めたころ、とにかくピアニストの「手」をみようと思って、

ステージに向かって左側の席に必ずすわっていました。

しばらくその位置を続けておりましたが、そのうち「ペダルをみよう」と思って、すごく前方の、ステージ向かって右側にすわるようになりました。

この位置にすわると顔もよく見えるので、おもしろくなってそのうち表情ばっかり見るようになりました(笑)。

(ちなみ今は、ホールど真ん中、または若干後方、響き重視で座席をとっています。)

表情はテレビで放映されるリサイタルものでも、必ずといっていいほど映るので、ひところは曲そっちのけで見入っていたのですけど、

無表情の一方で、あふれるような音楽を演奏するかたは別として、

たいがいは、音がでる一瞬前とか、フレーズのなかで和声が変わっていくときに、表情の変化が顕著です。

それを数多く見ているうちに、こちらもだんだんと予測がついてくるわけです。

たしかにひとりひとり違うことは違うのですけど、求めている音の方向が一緒(似ているならば)、

表情や視線の送り方は、ほぼ同じといってもいいほど。

絵の達者な方なら、それをもとに楽譜に「顔記号」を書き込めるかもしれません(笑)。

 

ピアノよりもおそらくほかの楽器のほうがわかりやすくて(ピアノは横向きなので、ちょっと見えづらい)、

一番わかるのは声楽、あと管楽器、弦楽器となるように思いますけど、

当然楽器によっても表情が違うので、それもまた面白いです。

ピアニストではランランとか、

バイオリンだと(若いころ)のクレーメルだとか、

独特の表情をされるかたもありますけど、

共通するのは「演奏に酔って」ああいう顔になっているのではなくて、

「顔で準備して音を出している」ということだと思うんですよね。

演奏者本人が意図してやっているかどうかはわかりませんけど。

 

・・・・・でも、ハイフェッツみたいに、「顔は静止画像」みたいなのもカッコいいかも・・・です(笑)。