テレビで昔のヒット曲が次々流れる番組を小一時間みておりました。
いわゆる、演歌・フォークソング・ニューミュージックなどの懐かしい歌が次から次へと。
20~30年前の歌をライブで今歌っている映像もあり、なんとなく複雑な感じ・・・・
だってですね、「青春」とか「愛」とか「別れ」とか「恨み」とかいう歌詞を、60過ぎたような方が歌っておられるわけで、たとえお姿に劇的な変化がないとしても、違和感はぬぐえません。
声域が狭くなっているとか、声量が落ちているとか、声質が乾いてきたとかまあそういうこともあるのですけど、なんといいますか、どこか肩の力の抜けた感じが、歌詞の内容から乖離した感じがあります。それはそれで悪くないんですけど、歌っているほうも「懐かしの」という雰囲気を漂わせているような・・・・(もちろん歌った方全員がそうだというわけでありません)。
歌そのものが時代遅れっぽいものはもちろんあるのですけど、そういうものでなくて「若い方が歌ったらいいかもしれない」という歌もあるわけで、やっぱり年齢を反映したものというのはあるのだろうなあ・・・と思ってしまいました。
クラシック音楽の場合はそこまで年齢的なものを問われることはないような気がしますけど、私にとってショパンの曲というのは、「(自分が)若いころの曲」の代表でありまして、途中ピアノから離れていた年数だけショパンとはいっさい縁がなかったと言ってもよく、そこへ戻っていくのは、かなりの抵抗と照れがあったといっても過言ではありません。
ヤケドなどを負って皮がむけ、ちょっとの刺激でもヒリヒリピリピリとするような独特の感覚、それに似た様な心理的状態で聴いたり弾いたりしていた楽曲、それがショパンの曲の数々であって、それはとりもなおさず、仕事も恋愛も先行きも不安だった独身のころとリンクしていたわけです。
またその感覚は、どんな穏やかな曲にあっても私にとっては拭えるものではありませんでした。
すでに私の年齢はショパンが亡くなった年齢をはるかに超えてしまいましたけど、これからさきまたいろいろな原因で不安な生活に陥ることがあったとして(老後や病気や介護などなど)、また同じように弾いたり聴いたりできるかというとそういうもんでもなかろうと思います。
もちろん個人差があるので、ショパンをそういう楽曲としてとらえておられない方もたくさんおられると思いますし、もしかしたら、私のようなものが少数派だということだってあるかもしれません。
そういう一種の「すりこみ」みたいなもののある作曲家に再び接近するにはどうしたらいいのか、いや再接近する必要があるのかどうか・・・というのは昨年の私の課題でありました。
昨年は実にいろいろなショパンを聴きました。
ショパンコンクールもありましたし、さまざまな年齢の方の弾くショパン、そして自分でも短い曲を何曲か手がけました。
まったく同じ曲でも感動した演奏もあればそうでもないものもある・・・こちらが感動できるようなメンタリティーであったこともあればそうでないこともある・・・・
ほかの作曲家であっても同じようなことは言えるわけですけど、少なくとも私にとっては「同じよう」ではあっても「同じ」ではない。
技術的に尽くされたもの、研究されたもの、説得力のあるもの、いろいろな演奏がありましたけど、おそらくは・・・
演奏する側 「一皮めくれたある意味痛々しい自分をさらす勇気をもって臨んだもの」
聴く側(私)「<演奏>というものの深部にある<音>を耳というより肌(それもごく敏感な)で聴いたもの」
が一致したとき、感銘を受けたのだと思います。
そういう再接近の機会を一年のうちに何回か得たことは非常に幸福なことでありました。
もともとは自分のなかにあった<なにか>なんでしょうけど、ここウン十年の時を経て、「年齢」とは別の次元で「再生」されたかな、という感じです。
演奏するにしても聴くにしても「肩の力」は抜けたほうがいいと思うのですけど、いわゆる「若い感情」が<懐かしの>になるのはちょっともったいない(笑)ので、
・・・・・・更年期には負けない(爆)。
いわゆる、演歌・フォークソング・ニューミュージックなどの懐かしい歌が次から次へと。
20~30年前の歌をライブで今歌っている映像もあり、なんとなく複雑な感じ・・・・
だってですね、「青春」とか「愛」とか「別れ」とか「恨み」とかいう歌詞を、60過ぎたような方が歌っておられるわけで、たとえお姿に劇的な変化がないとしても、違和感はぬぐえません。
声域が狭くなっているとか、声量が落ちているとか、声質が乾いてきたとかまあそういうこともあるのですけど、なんといいますか、どこか肩の力の抜けた感じが、歌詞の内容から乖離した感じがあります。それはそれで悪くないんですけど、歌っているほうも「懐かしの」という雰囲気を漂わせているような・・・・(もちろん歌った方全員がそうだというわけでありません)。
歌そのものが時代遅れっぽいものはもちろんあるのですけど、そういうものでなくて「若い方が歌ったらいいかもしれない」という歌もあるわけで、やっぱり年齢を反映したものというのはあるのだろうなあ・・・と思ってしまいました。
クラシック音楽の場合はそこまで年齢的なものを問われることはないような気がしますけど、私にとってショパンの曲というのは、「(自分が)若いころの曲」の代表でありまして、途中ピアノから離れていた年数だけショパンとはいっさい縁がなかったと言ってもよく、そこへ戻っていくのは、かなりの抵抗と照れがあったといっても過言ではありません。
ヤケドなどを負って皮がむけ、ちょっとの刺激でもヒリヒリピリピリとするような独特の感覚、それに似た様な心理的状態で聴いたり弾いたりしていた楽曲、それがショパンの曲の数々であって、それはとりもなおさず、仕事も恋愛も先行きも不安だった独身のころとリンクしていたわけです。
またその感覚は、どんな穏やかな曲にあっても私にとっては拭えるものではありませんでした。
すでに私の年齢はショパンが亡くなった年齢をはるかに超えてしまいましたけど、これからさきまたいろいろな原因で不安な生活に陥ることがあったとして(老後や病気や介護などなど)、また同じように弾いたり聴いたりできるかというとそういうもんでもなかろうと思います。
もちろん個人差があるので、ショパンをそういう楽曲としてとらえておられない方もたくさんおられると思いますし、もしかしたら、私のようなものが少数派だということだってあるかもしれません。
そういう一種の「すりこみ」みたいなもののある作曲家に再び接近するにはどうしたらいいのか、いや再接近する必要があるのかどうか・・・というのは昨年の私の課題でありました。
昨年は実にいろいろなショパンを聴きました。
ショパンコンクールもありましたし、さまざまな年齢の方の弾くショパン、そして自分でも短い曲を何曲か手がけました。
まったく同じ曲でも感動した演奏もあればそうでもないものもある・・・こちらが感動できるようなメンタリティーであったこともあればそうでないこともある・・・・
ほかの作曲家であっても同じようなことは言えるわけですけど、少なくとも私にとっては「同じよう」ではあっても「同じ」ではない。
技術的に尽くされたもの、研究されたもの、説得力のあるもの、いろいろな演奏がありましたけど、おそらくは・・・
演奏する側 「一皮めくれたある意味痛々しい自分をさらす勇気をもって臨んだもの」
聴く側(私)「<演奏>というものの深部にある<音>を耳というより肌(それもごく敏感な)で聴いたもの」
が一致したとき、感銘を受けたのだと思います。
そういう再接近の機会を一年のうちに何回か得たことは非常に幸福なことでありました。
もともとは自分のなかにあった<なにか>なんでしょうけど、ここウン十年の時を経て、「年齢」とは別の次元で「再生」されたかな、という感じです。
演奏するにしても聴くにしても「肩の力」は抜けたほうがいいと思うのですけど、いわゆる「若い感情」が<懐かしの>になるのはちょっともったいない(笑)ので、
・・・・・・更年期には負けない(爆)。
