ここのところ少しダレているといいますか、遊んでます。
6日土曜は、主人と娘と3人でムーミン展へ。
広島としてはものすごい人出でした。
小1の娘なんですが・・・・まあよく知ってますね、どの話も。
原画を一枚チラッと見ただけでストーリーを延々しゃべり続ける、止まらない。
そりゃまあ、アニメシリーズもほとんど見たし、本もたくさん持ってますけど、
どんだけ覚えてるんじゃ・・・・わけてくれ、その記憶力。
私もほとんど一緒に見たり読んだりしたはずなのですが・・・・さっぱりです。
それにしてもですけど、『ムーミン』ってアットホームな感じでありながら、そこはかとなくヘンなんですよね
そもそもお父さんは、<ムーミンすてごセンター>から脱走して海に出たという、なかなかの男。そして嵐の海で溺れかけていた女のムーミンを助け、結婚。それがムーミンママというわけ。
スナフキンもムーミンパパも放浪癖があるし、それでなくても常にいろんなひとがムーミン家には出入りしていて、兄弟関係や親子関係もわかったようなわからないような感じ。
クセのあるキャラクターばかりだし、仲がいいといえばいいんだけれど、自分を曲げてまで他人には合わせません・・・みたいなところもそれぞれあり。
実の家族に虐待されて透明人間になっちゃったという女の子も出てきます。だんだん心がほぐれて笑顔が出てきたら「顔」が見えるようになった・・・・・というなかなかシリアスな話。
原画展なので、アニメで見るムーミンとは少し違うし、最初のころと後のほうでは顔そのものがかなり違っているのですけど、このかわいくもどこかほの暗い感じは、やっぱりフィンランドならではものなのだろうなあ・・と思います。
正直、ちょっと想像つかないです、風土とか生活とか。
アニメにせよ、本にせよ、こういうものに小さい頃にたくさん触れるのは悪くないです。
あえて「いい」とか「やるべきだ」とか教育的効果は主張しませんし、実際あるのかどうかもわかりませんけど、・・・まあ「悪くない」。
私は外国文学にはとんとウトく、スタンダールだとかトーマス・マンだとかさっぱりなんですけど、子どものころに児童向けの『外国のお話』をわりに読んでましたので、短編には結構触れたのかもしれません。
そんな中で、だれの作品かも忘れましたけど、北欧のある物語は、今でもストーリーではなくて、空気や雰囲気として記憶に残ってます。いまだかつて一回も行ったことのない土地ですけど、その作品に没頭したおかげで、その地方に生えている樹木とか、人々の髪や目の色とか、空や海を「よく知っている」ような気がします。もちろん100%思い違いということもあり得るわけですけれど、「こんなとこ行ったこともないし」と思うよりはいい。たぶん、その後ハイビジョン等で紀行物なども見ているはずなんですけど、やっぱり作品の中に一時期でも「住んだ」経験には勝てっこないです。
大人になってからもいろいろな本を読んだり、その世界の住人に一時期なったりはするものなのですけど、子どものころのように「夢中に」なることはあまりない。
子どもの頃ってありませんでした?
外国のものを読んだあとは、自分が金髪で青い目の女の子になりきっていて、鏡をみて「ガクっ」とくるとか、
戦国の武将になりきっていて、せめて切腹の作法はちゃんと覚えておかねば、と気合入るとか、
・・・・・ないか(笑)。
私はけっこうありましたけれど、それくらい見境なく入り込めるのは、やはり「悪くない」です。のちのちまで前世の記憶なみ(?)のリアリティを伴います。
そういう意味で、娘がいわゆる「お話」に夢中になるのは、ピアノやバイオリンは置いといてでも(殴)、好きにやらせておきたいと思います。
これは、将来的な想像力とか表現力、そういう「いいもの」につながる保証はないです。ロクなことにならないリスクも相当あります。
「どうやったら表現力つきますか?想像力つきますか?」ときかれることがたまにあるんですが(私にきかんでくれ、ということですが・・・汗)、そんなものはついたらついた(というより目覚めたら目覚めた)で恐ろしいもの、まともな社会人に育てたかったら、むしろ回避させるのがカシコイ親のやることかもしれません。
想像力、表現力・・・・「あたたかくほほえましい」だけのものではないと思いますし、「育む」という言葉もあまりピンときません。
そうですね、どこか「ムーミン」の登場人物・・・放浪せざるを得ないなにか、頑固やわがままにならざるをえないなにか、どこか孤独でほの暗いなにか・・・そこに行き着くようにも思います。
思いのほか語ってしまいました(殴)。
・・・・深いな、ムーミン
6日土曜は、主人と娘と3人でムーミン展へ。
広島としてはものすごい人出でした。
小1の娘なんですが・・・・まあよく知ってますね、どの話も。
原画を一枚チラッと見ただけでストーリーを延々しゃべり続ける、止まらない。
そりゃまあ、アニメシリーズもほとんど見たし、本もたくさん持ってますけど、
どんだけ覚えてるんじゃ・・・・わけてくれ、その記憶力。
私もほとんど一緒に見たり読んだりしたはずなのですが・・・・さっぱりです。
それにしてもですけど、『ムーミン』ってアットホームな感じでありながら、そこはかとなくヘンなんですよね
そもそもお父さんは、<ムーミンすてごセンター>から脱走して海に出たという、なかなかの男。そして嵐の海で溺れかけていた女のムーミンを助け、結婚。それがムーミンママというわけ。
スナフキンもムーミンパパも放浪癖があるし、それでなくても常にいろんなひとがムーミン家には出入りしていて、兄弟関係や親子関係もわかったようなわからないような感じ。
クセのあるキャラクターばかりだし、仲がいいといえばいいんだけれど、自分を曲げてまで他人には合わせません・・・みたいなところもそれぞれあり。
実の家族に虐待されて透明人間になっちゃったという女の子も出てきます。だんだん心がほぐれて笑顔が出てきたら「顔」が見えるようになった・・・・・というなかなかシリアスな話。
原画展なので、アニメで見るムーミンとは少し違うし、最初のころと後のほうでは顔そのものがかなり違っているのですけど、このかわいくもどこかほの暗い感じは、やっぱりフィンランドならではものなのだろうなあ・・と思います。
正直、ちょっと想像つかないです、風土とか生活とか。
アニメにせよ、本にせよ、こういうものに小さい頃にたくさん触れるのは悪くないです。
あえて「いい」とか「やるべきだ」とか教育的効果は主張しませんし、実際あるのかどうかもわかりませんけど、・・・まあ「悪くない」。
私は外国文学にはとんとウトく、スタンダールだとかトーマス・マンだとかさっぱりなんですけど、子どものころに児童向けの『外国のお話』をわりに読んでましたので、短編には結構触れたのかもしれません。
そんな中で、だれの作品かも忘れましたけど、北欧のある物語は、今でもストーリーではなくて、空気や雰囲気として記憶に残ってます。いまだかつて一回も行ったことのない土地ですけど、その作品に没頭したおかげで、その地方に生えている樹木とか、人々の髪や目の色とか、空や海を「よく知っている」ような気がします。もちろん100%思い違いということもあり得るわけですけれど、「こんなとこ行ったこともないし」と思うよりはいい。たぶん、その後ハイビジョン等で紀行物なども見ているはずなんですけど、やっぱり作品の中に一時期でも「住んだ」経験には勝てっこないです。
大人になってからもいろいろな本を読んだり、その世界の住人に一時期なったりはするものなのですけど、子どものころのように「夢中に」なることはあまりない。
子どもの頃ってありませんでした?
外国のものを読んだあとは、自分が金髪で青い目の女の子になりきっていて、鏡をみて「ガクっ」とくるとか、
戦国の武将になりきっていて、せめて切腹の作法はちゃんと覚えておかねば、と気合入るとか、
・・・・・ないか(笑)。
私はけっこうありましたけれど、それくらい見境なく入り込めるのは、やはり「悪くない」です。のちのちまで前世の記憶なみ(?)のリアリティを伴います。
そういう意味で、娘がいわゆる「お話」に夢中になるのは、ピアノやバイオリンは置いといてでも(殴)、好きにやらせておきたいと思います。
これは、将来的な想像力とか表現力、そういう「いいもの」につながる保証はないです。ロクなことにならないリスクも相当あります。
「どうやったら表現力つきますか?想像力つきますか?」ときかれることがたまにあるんですが(私にきかんでくれ、ということですが・・・汗)、そんなものはついたらついた(というより目覚めたら目覚めた)で恐ろしいもの、まともな社会人に育てたかったら、むしろ回避させるのがカシコイ親のやることかもしれません。
想像力、表現力・・・・「あたたかくほほえましい」だけのものではないと思いますし、「育む」という言葉もあまりピンときません。
そうですね、どこか「ムーミン」の登場人物・・・放浪せざるを得ないなにか、頑固やわがままにならざるをえないなにか、どこか孤独でほの暗いなにか・・・そこに行き着くようにも思います。
思いのほか語ってしまいました(殴)。
・・・・深いな、ムーミン
