昨日の話題にちょっと関連して・・

私は20代で仕事はやめました。
これは年金手帳を見てみればよ~くわかるわけですが、1987年4月から1993年3月までしか正社員として働いていません。たった6年しか働いてないわけですが、当時はそれでも、「もう6年働いて飽きた」(殴)と思っておりました。しかもその間3つの全然違う種類の仕事をしているという・・・(汗)。
やめてとまどったのは「自己紹介が難しい」こと。
考えてみればそれまでずっと学校名や会社名、または役職名が肩書きもどきとしてついていたわけですが、いきなり「私は〇〇です」で自己紹介が終ってしまうわけです。もっとも子どもが生まれて公園やら幼稚園などに行き始めると「〇〇ちゃんのお母さん」だけで充分なので、それ以上の情報は言わないほうがいいケースのほうが多いかもしれませんが・・・。
自由人けっこう、こういう生活がしたかった・・と思わないでもなかったですが、仕事仲間もいない、特に趣味もやっていない(結婚当初は旦那のお金を自分の趣味をつぎ込むことは心理的にキツイものがありました)、会うのは近所の奥さんくらい、クラス会に行くと(クラス会に行くのも自分のお金ではなし)周りは仕事の話ばかり・・・。
私のように運転免許(身分証)も名刺もないものは、極端なこというと「見かけ」以外人間の判断材料はないわけです。その「見かけ」がアヤシイとなると、職質モノ(笑)。

世間的にみて「自分がなにものでもない」という状況は思ったよりもきつい。
よく退職したおじさまがたが、趣味の場にまで昔の肩書きをもちこんで、登山のツアー等でも「私は昔は〇〇社の社長だったんだ。私の言うことをきけば間違いない!」といって、ツアーを混乱に陥れたなどという話もききますが、「普通のじいさん」として若いものからタメぐち、あるいはそれ以下の扱いを受ける際の気持ちはわからないでもないです。
自分がなにものかわかってほしいと思うあまりに「読書が好きで」とか「クラシックが好きで」とかやたら自己紹介するのも、敬遠されてしまう可能性がかなりあるので、これは注意深くやらないといけないし・・・。

「学歴」「仕事」「特技」等がなくなった場合の自分てなんだろう・・・、いやそれどころか「自分ひとりでは経済的に生活できない」、また「病気等で介助なくしては身の周りのことすら難しい」「記憶も失われていく」などの境遇に至った場合の時自分の価値はなんだろう・・と専業主婦になった当初は結構まじめに考えました。
考えていけばいくほど、「これまで勉強したこと」だの、「仕事で得たこと」だのにとらわれていることに気づきましたが、それは単に「付加価値」なのか、それとも人格面にまでかなり影響していることなのか?

そもそもなにか「評価されたい」とか、「自分は実はいろいろなことができるはず」などと思うその時点で、かなり驕っていたのだと気づいたのはかなりあとのことでしたが・・・。
人間「評価されたい(ほめられたい)」というシバリからはなかなか自由になれません。


それはそうと、たしか森鴎外は「石見ノ人森林太郎トシテ死セント欲ス」と言っていたように記憶しています。あれだけの肩書きを終生持った方だとそれは偽らざる望みであったでしょうが、あの世で「あなただれ?」と聴かれたとき、「陸軍軍医総監で、正四位の森林太郎です」「文学のほうは舞姫、阿部一族、ほかたくさん書いてます」などと自己紹介しなかったもんだろうか・・と時々考えます。