今日は原爆の日でした。

息子の学校は登校日ではなく午前中部活だったのですが、まだインフルエンザ監禁中なので、外出せず。ただ熱は、朝起きたら、平熱になっていた模様。
娘は登校日でしたが、家族に感染者がいるので学校に電話して欠席。

私は、もし土曜から上京するとなるとどうしても済ませておかねばならない用があり、やむをえず外出いたしました。
途中、こども図書館の返却ポストに本を入れておこうと思って立ち寄ったら、なんと図書館はあいており、「え?8月6日って市の施設ってお休みじゃなかったっけ?」と思い、お隣のプールを見てみたらこちらも普通に営業。
道路はさんだ向かいは原爆ドームですから、そちらは今日はかなり人も多く、特殊な雰囲気なんですが、この一角はいつもどおりの感じ。
プールのすぐ脇の川で64年前どんな光景が繰り広げられていたか・・・と考えると、元来ヨソモノの私でも、この落差はかなり複雑な気持ちです。


午後は、テレビで全聾の作曲家、佐村河内守さんのドキュメンタリー番組を見ました。
昨年9月1日のG8サミット演奏会の時に、交響曲第1番(全曲ではなかったと思います)が地元で初演され、そのときなんとなくお名前だけは耳にしていたのですが、今日の番組は今年5月末にあった「レクイエム ヒロシマ」の初演の模様でした。
あまりにも衝撃だったので、ちょっと言葉にできないです。
you tubeに動画がありますので、音楽のほうはそちらで。・・・交響曲第1番(原爆を表現したもの)は17歳のときから23年かけて作られたものだそうです。
佐村河内さんは広島出身の作曲家で1963生まれ。幼少よりお母さんにピアノを、伯父さんにバイオリンを、お祖父さんに尺八を習われ、10歳にして(交響曲を作る)作曲家を目指されます。
高校卒業後は、音大に進学すると「協和音でなく不協和音の作曲を強いられる」ということで、独自に勉強されますが、音大出でないということで、依頼等は少なく、道路工事の仕事をされたこともあったとか。
一方、高校の時以来激しい頭痛に襲われることが多く、それにともなって難聴もあったそうなのですが、頭痛の発作のときに起こるので、医者にみせるのがおくれ、病院で診てもらったときは手遅れに。35歳で両方の聴力を完全に失ってしまわれたそうです。
その後、腱鞘炎で楽器は弾けなくなり、神経症もひどく常に10数種類の薬を服用。光をみると発作で嘔吐されることもあるので、薄暗い自室で作曲をされています(映像でみると、壁に十字架、机上にはマリア像がありました)。
弟さんの事故死も、精神的な闇を深めることになったと・・・。
ひとすじの光は、ハンディを背負う子どもたちの施設をたずねることだということで、これによって自分は生きる力をもらっているのだ、とおっしゃっていました。
自分の作った音楽を聴けないばかりでなく、「常にボイラー室にいるような」耳鳴りに24時間襲われる状態というのは想像もつきませんが、そんな中で、絶対音感だけで(楽器を使わず)、100分にも及ぶシンフォニーを書かれるというのは壮絶という言葉しか出てきません。


安全地帯でぬくぬくと「楽しい音楽」をやっている自分ですけれど、闇の中でもがき、地獄を見、そこからひとすじの光を音楽に見いだした、数々の作曲家、演奏家がいたこと、そして現在もいることを忘れてはならないと思いました。
そして、過去の戦禍、現在の不条理、のことも・・・。