数日前に、「千住家にストラディヴァリウスが来た日」(千住文子著:新潮文庫)を読みました。
著者の千住文子さんは、ヴァイオリニスト千住真理子さんのお母様でいらっしゃいます。
この本が単行本で出た頃、楽器店や本屋でちらっと見たことはあるのですが、「千住さんがデュランティを手に入れたときいたけれど、幸運な貸与かなにかあったのかな?」くらいの反応だったのです、私は。
ところがこの本を読んでですね、もう「ごめんなさい、ごめんなさい・・これだからピアノ弾きは甘いんです」と心の底から謝罪をいたしました。
貸与ではないんです、億単位の借金を真理子さんが一人でなさったんです。これまでの預金すべて、子どものころからのお年玉やお祝い、土地抵当、二人の兄の人間抵当、ありとあらゆるものを差し出して、これからの人生をデュランティという名のストラディバリウスとともに歩むことを決意されたということ。
もちろん、最初から買う気だったということではなく、数奇な運命をたどって千住さんところへたまたまあるヴァイオリンがやってきた(このあたりは映画化にたえるくらいの劇的内容です。どうか本でお読みください)。試奏したにも関わらず、自分の手の届くものではないとあきらめていたのですが、ここから二人の兄の強烈なプッシュあり、またまた不思議な偶然あり、で結局買うことになったのだそうです。
ヴァイオリニストが億の単位の借金を抱えたまま一生弾きつづけるという話は、時々耳にすることではありますし、たとえアマチュアでも「いい楽器を手に入れたい」というのはみなさんの悲願するところであり、このへんの話はピアノ好きがグランドピアノを買ったというのとは、ちょっと違う楽器への思いであります。
そういう「購入」に関する話もなんですが、大変だなあ・・と思ったのは、12歳でプロデビューしてからの千住さん自身、またご家族のご心労。
「あらゆる憎しみ、ジェラシー、そして無法、抹殺・・・ほとんど精神的な殺人とも言えるようなものだった」と本にはありましたが、そんな大人の世界に放り込まれた彼女はショックで倒れたこともある、といいます。
江藤俊哉先生は、12歳にしてプロになった彼女に「いいですか、今日からは、いくら年齢が幼くても、あなたは、プロという社会的責任を負ったのです。プロはどんなにつらいことがあっても、ステージに一歩踏み出したら、何事もなかったかのような顔にならなければ、許されない。たとえば、泣きたいほど悲しいことがあっても、涙など、見せてはいけない。体調を崩したとしても、そんなことは何の言い訳にもならない」と強く「命令」されたそうです。
客観的にはまことにその通りと思いますけど、母親として、家族としては、こういう状況というのは大変なことだと思います。健康管理、精神面のフォロー、あと口さがない世間からも守ってやらなければならない。それからお母さんの文子さんは素人でいらっしゃいましたが、江藤先生はお母さんに「立派な鏡(一回一回の演奏、音をきちんとモニターすること)」となることを要求され鍛え上げられたので、そちらの「お仕事」も大変でいらしたのではないでしょうか?
このストラディバリウスを買われる以前は、ずーっと「千住家としては精一杯(の価格)」のヴァイオリンを使っておられたのだそうですが、激しいレッスンと数多くの本番で楽器は衰え、音も枯れてきて、その楽器で足りない分を補おうとテクニック面で無理をしたり、楽器が鳴らない分を奏者の体(の骨)で鳴らそうとするため、真理子さん自身の体もボロボロになっていたのだそうです。
ピアノでも厳密に言うとそういう状況は生じるのかもしれませんが、いかんせん本番の楽器が自分の持ち物ではありませんので、そこまでのことはないのではないかと・・。
そういえば、この前チェロのM先生に「私、本番の前になると、朝手が開かないことあります」と話していたら、「ボクは、だいたい楽器がおかしくなるねえ」とおっしゃってましたので、やっぱり一体感が違うんだなあ、と思った次第。
どんな仕事も甘いことではありませんが、40過ぎて単身で億単位の借金を背負う仕事ってやっぱり普通の感覚からいうと正気の沙汰ではありません。
芸術の世界は「取り憑かれた」世界なのだ、とあらためて思います。
著者の千住文子さんは、ヴァイオリニスト千住真理子さんのお母様でいらっしゃいます。
この本が単行本で出た頃、楽器店や本屋でちらっと見たことはあるのですが、「千住さんがデュランティを手に入れたときいたけれど、幸運な貸与かなにかあったのかな?」くらいの反応だったのです、私は。
ところがこの本を読んでですね、もう「ごめんなさい、ごめんなさい・・これだからピアノ弾きは甘いんです」と心の底から謝罪をいたしました。
貸与ではないんです、億単位の借金を真理子さんが一人でなさったんです。これまでの預金すべて、子どものころからのお年玉やお祝い、土地抵当、二人の兄の人間抵当、ありとあらゆるものを差し出して、これからの人生をデュランティという名のストラディバリウスとともに歩むことを決意されたということ。
もちろん、最初から買う気だったということではなく、数奇な運命をたどって千住さんところへたまたまあるヴァイオリンがやってきた(このあたりは映画化にたえるくらいの劇的内容です。どうか本でお読みください)。試奏したにも関わらず、自分の手の届くものではないとあきらめていたのですが、ここから二人の兄の強烈なプッシュあり、またまた不思議な偶然あり、で結局買うことになったのだそうです。
ヴァイオリニストが億の単位の借金を抱えたまま一生弾きつづけるという話は、時々耳にすることではありますし、たとえアマチュアでも「いい楽器を手に入れたい」というのはみなさんの悲願するところであり、このへんの話はピアノ好きがグランドピアノを買ったというのとは、ちょっと違う楽器への思いであります。
そういう「購入」に関する話もなんですが、大変だなあ・・と思ったのは、12歳でプロデビューしてからの千住さん自身、またご家族のご心労。
「あらゆる憎しみ、ジェラシー、そして無法、抹殺・・・ほとんど精神的な殺人とも言えるようなものだった」と本にはありましたが、そんな大人の世界に放り込まれた彼女はショックで倒れたこともある、といいます。
江藤俊哉先生は、12歳にしてプロになった彼女に「いいですか、今日からは、いくら年齢が幼くても、あなたは、プロという社会的責任を負ったのです。プロはどんなにつらいことがあっても、ステージに一歩踏み出したら、何事もなかったかのような顔にならなければ、許されない。たとえば、泣きたいほど悲しいことがあっても、涙など、見せてはいけない。体調を崩したとしても、そんなことは何の言い訳にもならない」と強く「命令」されたそうです。
客観的にはまことにその通りと思いますけど、母親として、家族としては、こういう状況というのは大変なことだと思います。健康管理、精神面のフォロー、あと口さがない世間からも守ってやらなければならない。それからお母さんの文子さんは素人でいらっしゃいましたが、江藤先生はお母さんに「立派な鏡(一回一回の演奏、音をきちんとモニターすること)」となることを要求され鍛え上げられたので、そちらの「お仕事」も大変でいらしたのではないでしょうか?
このストラディバリウスを買われる以前は、ずーっと「千住家としては精一杯(の価格)」のヴァイオリンを使っておられたのだそうですが、激しいレッスンと数多くの本番で楽器は衰え、音も枯れてきて、その楽器で足りない分を補おうとテクニック面で無理をしたり、楽器が鳴らない分を奏者の体(の骨)で鳴らそうとするため、真理子さん自身の体もボロボロになっていたのだそうです。
ピアノでも厳密に言うとそういう状況は生じるのかもしれませんが、いかんせん本番の楽器が自分の持ち物ではありませんので、そこまでのことはないのではないかと・・。
そういえば、この前チェロのM先生に「私、本番の前になると、朝手が開かないことあります」と話していたら、「ボクは、だいたい楽器がおかしくなるねえ」とおっしゃってましたので、やっぱり一体感が違うんだなあ、と思った次第。
どんな仕事も甘いことではありませんが、40過ぎて単身で億単位の借金を背負う仕事ってやっぱり普通の感覚からいうと正気の沙汰ではありません。
芸術の世界は「取り憑かれた」世界なのだ、とあらためて思います。
