昨日午前は、地元のピアノコンクールを聴いてきました。・・・バッハばかりのあれです。
止まる子、弾きなおす子、間違いまくる子、全然ミスのない子、音量のある子、音色のいい子、ミスもなく音も良く音楽的にもすばらしい子、・・・・レベルはさまざまでした。
中学生だけでも120人以上いて、そのなかの1割しか本選にすすめないということでしたけど、最初からの30人少しを聴いても、その1割とはこのセン以上かなという予想はつくような気がしました。
コンクールのなかには「・・・だれがいいのかさっぱりわからん・・」というのもあるにはありますけど、そういうものではなかったように思います。
コンクールの功罪は私自身も日頃よく考えますし、自分の子を参加させるには相当躊躇しますけど、コツコツとメトロノームをかけ、左右別々に地味に練習を重ね、多声をどうやって弾き分けるかを少なくとも2ヶ月以上は工夫して頑張ってるわけですから、エライもんです。コンクールの曲ばかりにかかりきりになるのは・・という意見はよくききますし私自身もそう思いますけど、じゃあこの期間なにかほかのことで有効活用しているのかといわれると、わが子をみても分かる通り、テレビをたくさん見たりゲーム攻略にいそしんだり・・というわけで、たとえ1曲でも仕上げたほうがマシなんじゃないかと思うわけです。
別にコンクールに出なくてもそういうことはやれるでしょ・・という意見もありますし、これまた私自身もそう思うわけですけど、出てみればわかることですが、コンクールはたとえ結果がどうあれ、日頃の発表会やその他の機会と必死度が違います。「一曲をものにする」ということからいうと、発表の場によって練習態度が違うことはあってはならないことなのですけど、人間やっぱり競争がかかっていたり結果が出てしまうことだとどうしても必死になる習性があり、これによって損なわれるなにかはもちろんあるのでしょうけど、得られるものも多い。
「自己修練の場」と割り切れるなら、出てみることには意義があります。ただその場合、子どもの場合は特に、先生や親の態度のありかたというのは重要であると思われます。
納得のいく結果が出れば問題ないわけですが、そういかないのも世の常です。
そのときどうするか・・というのは親や先生の人間性を問われる場面でもあります。
でも考えてみればこういう場面は結構ありますよね、受験しかり、何かの試合しかり。
中学受験のときなどは、失敗の程度にあわせた励ましや慰めの言葉かけをどこの親御さんもおそらく何パターンか用意されているはずです。目標に向かってガンガン励ますのはそう難しいことではありませんが(もちろん難しい場合もあります)、失敗したときはすべて引き受けますくらいの覚悟が親や先生にあってこそ、ガンガン励ますこともできるし叱ることができるんじゃないかなあ・・と思います。
ほんとは日頃の子育てやレッスンだって、「なにかあったときは引き受ける」覚悟がいることなのですけど、なかなか人間そうもいかないです。
人間いちばんこたえるのは「見捨てられる、あきらめられる」ということであって、「たとえヘタだろうが、頭が悪かろうが、病気になろうが、動けなくなろうが、絶対に応援しつづける」というサインが誰からか発されていればだいたいのことは乗り切れるもんです。
私も、大学時代の恩師に「ぼくは、君の応援団のひとりだよ。なにがあっても応援し続けるよ」と言われたことはいまだに心の支えであり、自分もそういうことを言える人間でありたいと思っています。
日本には「以心伝心」という言葉がありますけど、こういうことは面と向かってはっきり言ったほうがいいです。
・・・他人にはいえても、なかなか身内にはいえないのが現実ではありますけど・・・。
止まる子、弾きなおす子、間違いまくる子、全然ミスのない子、音量のある子、音色のいい子、ミスもなく音も良く音楽的にもすばらしい子、・・・・レベルはさまざまでした。
中学生だけでも120人以上いて、そのなかの1割しか本選にすすめないということでしたけど、最初からの30人少しを聴いても、その1割とはこのセン以上かなという予想はつくような気がしました。
コンクールのなかには「・・・だれがいいのかさっぱりわからん・・」というのもあるにはありますけど、そういうものではなかったように思います。
コンクールの功罪は私自身も日頃よく考えますし、自分の子を参加させるには相当躊躇しますけど、コツコツとメトロノームをかけ、左右別々に地味に練習を重ね、多声をどうやって弾き分けるかを少なくとも2ヶ月以上は工夫して頑張ってるわけですから、エライもんです。コンクールの曲ばかりにかかりきりになるのは・・という意見はよくききますし私自身もそう思いますけど、じゃあこの期間なにかほかのことで有効活用しているのかといわれると、わが子をみても分かる通り、テレビをたくさん見たりゲーム攻略にいそしんだり・・というわけで、たとえ1曲でも仕上げたほうがマシなんじゃないかと思うわけです。
別にコンクールに出なくてもそういうことはやれるでしょ・・という意見もありますし、これまた私自身もそう思うわけですけど、出てみればわかることですが、コンクールはたとえ結果がどうあれ、日頃の発表会やその他の機会と必死度が違います。「一曲をものにする」ということからいうと、発表の場によって練習態度が違うことはあってはならないことなのですけど、人間やっぱり競争がかかっていたり結果が出てしまうことだとどうしても必死になる習性があり、これによって損なわれるなにかはもちろんあるのでしょうけど、得られるものも多い。
「自己修練の場」と割り切れるなら、出てみることには意義があります。ただその場合、子どもの場合は特に、先生や親の態度のありかたというのは重要であると思われます。
納得のいく結果が出れば問題ないわけですが、そういかないのも世の常です。
そのときどうするか・・というのは親や先生の人間性を問われる場面でもあります。
でも考えてみればこういう場面は結構ありますよね、受験しかり、何かの試合しかり。
中学受験のときなどは、失敗の程度にあわせた励ましや慰めの言葉かけをどこの親御さんもおそらく何パターンか用意されているはずです。目標に向かってガンガン励ますのはそう難しいことではありませんが(もちろん難しい場合もあります)、失敗したときはすべて引き受けますくらいの覚悟が親や先生にあってこそ、ガンガン励ますこともできるし叱ることができるんじゃないかなあ・・と思います。
ほんとは日頃の子育てやレッスンだって、「なにかあったときは引き受ける」覚悟がいることなのですけど、なかなか人間そうもいかないです。
人間いちばんこたえるのは「見捨てられる、あきらめられる」ということであって、「たとえヘタだろうが、頭が悪かろうが、病気になろうが、動けなくなろうが、絶対に応援しつづける」というサインが誰からか発されていればだいたいのことは乗り切れるもんです。
私も、大学時代の恩師に「ぼくは、君の応援団のひとりだよ。なにがあっても応援し続けるよ」と言われたことはいまだに心の支えであり、自分もそういうことを言える人間でありたいと思っています。
日本には「以心伝心」という言葉がありますけど、こういうことは面と向かってはっきり言ったほうがいいです。
・・・他人にはいえても、なかなか身内にはいえないのが現実ではありますけど・・・。
