今朝、小学校低学年以来の疑問が突然解決いたしました。

またまた文学ネタで恐縮なのですが・・・。

たぶん小学校の低学年だったと思うある日、おそらく学校の図書館でだと思うのですが、ある本を読んでいました。
海外の小説の子ども向け翻訳だったと思います。
話の前後はまったく覚えていないのですが、小さい男の子が父によって銃殺されるシーンがあり、落丁かなにかがあったのか、私の記憶のなかではそこで突如として物語は途切れていました。
その後その本を探したのですが、なにしろパラパラとめくった瞬間に出くわした文章だし、休み時間かなにかだったのでしょう、大慌てで棚に返した気がするし、どうも手がかりに乏しい。年月がたつにつれて、「いやあれは夢のなかの一シーンだったのかも・・・そんな恐ろしい話があるわけがない」と、次第次第に「気のせい」にせざるを得ないような状況になっていました。

今朝、新聞で筒井康隆さんのコラムを読んでいたら、出てきたのです、いきなりその話が。
それはどうも、鈴木三重吉の「赤い鳥」に収録されていたメリメの「マテオ・ファルコーネ」という短編らしく、訳は三重吉自身で、邦題は「父」。
・・・以下新聞から・・・
「羊飼いのマテオ・ファルコーネは、警察に追われている男をかくまってやる。ところが彼の十歳ほどになる息子が、やってきた警官に男の居場所を教えてしまう。褒美の銀時計が欲しかったのだ。家に戻ったマテオは、裏切り者の息子を外に連れ出し、祈りを唱えさせ、泣いている息子を銃で射殺してしまう。
『あなた。あの子に何をしたの』と叫ぶ母親に、マテオは『裁きをつけたんだ』と答える。」

筒井氏は幼き日、お父さん所有の雑誌「赤い鳥」の中にこの話を見つけ、恐ろしくて震え上がったそう。後年どうしても原典に当たりたくて探し、岩波文庫の『エトルリヤの壺』という短編集の中に収録されていることを知った、と書いておられました。

いやあ、ほんとに存在しててよかったです、この短編。
「いい話だから」というのではなく、私の幼い日の記憶のひとつとして存在しているこの話がもし私のファンタジーだとしたら、どれだけ病んだ心を抱えた子どもだったのだろうか・・・と思わざるをえませんから(笑)。


それにしても強烈ですよね、この話。
19世紀コルシカでの話であるとか・・・・。