私は、とくにホロヴィッツに詳しいわけでも、心酔しているわけでもないのですが、「ホロヴィッツの演奏でないと聴いた気がしない」という曲が2曲あります。
それはプロコフィエフのソナタ第7番とラフマニノフのソナタ第2番。
どちらもホロヴィッツにとっては同時代の作曲家ということになるのでしょうか?
今日たまたまホロヴィッツのCDをかけていたら、ある曲にハマりました。
・・・バーバーのピアノソナタ
この曲、別に初めて聴いたわけでもなんでもなくて、コンクールの自由曲で第1楽章が弾かれることはよくあります。ですが、今まで聴いてもピンときませんでした。
今日も第1楽章ではそこまではまらなかったのですが、第2楽章以降・・・きました。
第2楽章の高音で循環する一見(聴?)無秩序なメロディー、第4楽章の壮大なフーガ。現代曲のフーガって、私にはだいたい何がなんだかわからないのが普通なんですけど、テーマがこうなってこっちからもきて、集まって交じり合って、何倍の長さになって・・みたいなことが初めて聴いたにもかかわらずなんとなくわかるわけです。これって、演奏の力以外の何者でもない。
バーバーはアメリカの作曲家で、たしかに第4楽章にはガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」をほうふつとさせるような箇所もあるにはあるのですが、大部分はいわゆる「現代曲」で、同じバーバーの「弦楽のためのアダージョ」みたいなわかりやすいメロディーはほぼありません。
ホロヴィッツの演奏で私が「すごいなあ」と思うのは、よくいわれる「ヴィルトーゾ」はなくて、ドロドロとした人間の負の部分の混迷混沌とした表現や、そこに射し込む閃光のような「痛い」と言いたくなるような音。
こういう表現をもってすると、現代曲だろうが十二音だろうがそんなことは小さなこととなり、崩壊するなにかや人間の業みたなものがこちらをぐっととらえて離さないわけです。
・・・すごすぎる演奏家です。あとにもさきにもない・・・・
ひさびさに、興奮いたしました。
それはプロコフィエフのソナタ第7番とラフマニノフのソナタ第2番。
どちらもホロヴィッツにとっては同時代の作曲家ということになるのでしょうか?
今日たまたまホロヴィッツのCDをかけていたら、ある曲にハマりました。
・・・バーバーのピアノソナタ
この曲、別に初めて聴いたわけでもなんでもなくて、コンクールの自由曲で第1楽章が弾かれることはよくあります。ですが、今まで聴いてもピンときませんでした。
今日も第1楽章ではそこまではまらなかったのですが、第2楽章以降・・・きました。
第2楽章の高音で循環する一見(聴?)無秩序なメロディー、第4楽章の壮大なフーガ。現代曲のフーガって、私にはだいたい何がなんだかわからないのが普通なんですけど、テーマがこうなってこっちからもきて、集まって交じり合って、何倍の長さになって・・みたいなことが初めて聴いたにもかかわらずなんとなくわかるわけです。これって、演奏の力以外の何者でもない。
バーバーはアメリカの作曲家で、たしかに第4楽章にはガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」をほうふつとさせるような箇所もあるにはあるのですが、大部分はいわゆる「現代曲」で、同じバーバーの「弦楽のためのアダージョ」みたいなわかりやすいメロディーはほぼありません。
ホロヴィッツの演奏で私が「すごいなあ」と思うのは、よくいわれる「ヴィルトーゾ」はなくて、ドロドロとした人間の負の部分の混迷混沌とした表現や、そこに射し込む閃光のような「痛い」と言いたくなるような音。
こういう表現をもってすると、現代曲だろうが十二音だろうがそんなことは小さなこととなり、崩壊するなにかや人間の業みたなものがこちらをぐっととらえて離さないわけです。
・・・すごすぎる演奏家です。あとにもさきにもない・・・・
ひさびさに、興奮いたしました。
