ここ数日、20世紀以降の曲ばかりを聴いています。
プロコフィエフ:ピアノソナタ2番、3番、5番、9番
ショスタコーヴィチ:ピアノソナタ2番、3つの幻想的舞曲、5つの前奏曲、格言集、そのほか映画・バレエ音楽
スクリャービン:ピアノソナタ9番(黒ミサ)、10番、3つの練習曲、炎に向かって
・・・などなど。全部ロシア(ソ連)ですね。


時々、調性がはっきりしないようなものや変拍子だらけの曲を聴きたくなります。
だからといってシェーンベルクとかにはほとんどいかないのですけど・・・(汗)。

学生時代FMで聴いた曲にスクリャービンの「法悦の詩」というのがありまして(もちろんオーケストラ曲)、これにどういうわけかハマリました。そのとき一緒に演奏されたのがピアノソナタの「黒ミサ」。
私はスクリャービンってこんな曲ばかりだと思っていて、すっごい作曲家だなあ・・と思っておりましたら、だいぶあとになって調性のある曲を耳にして、ちょっとだけがっかりしたことがあります(爆)。そりゃ、作曲家なんですからいろいろな曲を作っているのは当たり前のことですし、作品番号の若いエチュードやソナタもすばらしい曲であるのは言うまでもないことですが。

これらの曲をどうこういえるほど聴いたわけでもないし、弾いたわけでもないのですけど、和音やリズムの整ったもの(古典やロマン)を弾いていると、非日常的な感じがして(まあそれがよくて弾いたり聴いたりしているわけなんですけど)、時々「・・・ちがうんじゃないか・・・(なにがちがうんだかわかりませんけど)」という思いに襲われたりします。
現実のニュースや日常のあれこれの合間合間に聴いていて意外に違和感がないのがこういう近現代曲で、特に好きなわけでもなんでもありませんけど、自然に受け入れてしまっていることもあります。・・・曲によって内容はいろいろなのでひとまとめにはできませんし、もしかすると作曲者の意図に反する聴き方なのかもしれませんけど・・


こういう曲をさかんに聴くときは、一方で、バッハを聴いていることが多いです。
たぶん脳内の似たような部分が活性化されてるんじゃないでしょうか?どこか知りませんが・・・前頭葉か(笑)。


ところでスクリャービンは1872~1915、プロコフィエフは1891~1953、ショスタコーヴィッチは1906~1975の人で、このなかではスクリャービンはかなり昔の人です。
それこそ日本だと大逆事件だとかその頃に生きてたということになりますか。
いつだったか、友人が「ショパンって、大塩平八郎の乱のころ生きてたんですよねえ」というもんで、びっくりしたり笑ったりしちゃったんですけど、そういうことを考えるとなんだか頭がこんがらがりそうになります。
以前セミナーに行ったとき講師の先生が「よく音大生に『バッハって平安時代くらいの人ですか?』ときかれてびっくりします」とおっしゃってました。あの音楽が江戸時代だと思うと「すごいなあ」と思いますけど、一方で音楽史上では昔の人っぽく感じてしまうのも事実で、そういうことを考えるとまたまた頭がこんがらがります。

このなかで一番最近の人であるショスタコーヴィッチは、亡くなったのは昭和50年ということですから
・・・・ほんのついこの前のことです・・・(逃)