最近の娘なんですが・・・
卒園以来元気がありません。
卒園の前から悲しそうでしたけど、いよいよ現実のものとなって喪失感全開。
テレビで何か見ていて「あっ、こういうの〇〇ちゃんが好きなんだよ。明日教えてあげよう・・・・もう会えないんだった・・・(ベソ1)」
なにかの名前を私に教わって「へえ、これってそういう名前なんだ。明日△△ちゃんに教えてあげよう・・・もう会えないんだった・・・(ベソ2)。もっといっぱい遊んだりお話しとけばよかった・・・(ベソ3)」
・・というありさまで、プチうつ状態です。
小学校が楽しみでないわけではないのですが、小学校は6年間お兄ちゃんがらみで何回も何回も行っていて、別におもしろそうな遊具があるわけでなし、じっとすわって勉強しなければならないみたいだし、何よりも一人でテクテク歩いていかないといけないし、大好きなお弁当でなくて給食だし・・というわけで、あまり期待のネタがないようです。お兄ちゃんが在学中ならそれも楽しみだったでしょうけど、今やお兄ちゃんは、小学校よりはるかにうちに近い中学に通っていて、これから朝は自分の方が早起きだと思うと、面白かろうわけがありません。
行きだしたら行きだしたで楽しいことも多いとは思うのですけど・・・。
それはともかく、娘のこのプチうつ状態、お友だちと死別したわけでもあるまいに・・とちょっと思い、でも待てよ、と考え直しました。
現実的に考えると、娘のいた幼稚園のお友だちはいくつかの校区からバスで通ってきていたので、たとえ近くの子であっても小学校が違えばこれ以降なかなか会うことはありません。まして、遠くの子とはもしかすると一生会うことはないかもしれない・・。
大人になると、実際に会う機会がなくなったとしても、電話(特に携帯電話)やインターネット等々を通じて、即連絡はとれるので、離れ離れになった誰かと音信を保つかどうかというのは本人の意思次第ということになります。
これは、いまや、小学校卒業でもほぼ同じことで、卒業に際して先生やお友達とメールアドレスや携帯番号の交換というのはごく普通に行われていて、そうすると、純粋に「卒業したらもう会えない」とガックリくるのは幼稚園くらいなのかもしれません。
一人二人の仲良しさんなら今後も親の協力のもと、音信を保っていくことはできますけど、クラスのたくさんのお友だち、あるいはクラス全体の雰囲気となると、これはもう戻ることの出来ない過去であるわけなので、いささかかわいそうではありますが、ここはベソでもなんでもかいて気持ちの整理をつけてもらうしかありません。
ちょっと前(といっても何十年ということになりますけど)、少なくとも各家庭に一台黒電話がデンとあったころまでは、やっぱり「別れ」は「別れ」として存在していたように思うのですけど、今は極端なことをいうと死なない限り、決定的な別れはなく、どこかでつながっています。
昔のすぐれた作品には、文学であれ絵であれ音楽であれ、惜別の情を表した名作が数限りなくありますが、そんな作品を現代の私たちはどこまで心で感じ、受けとめているのか・・・
・・・そんなことを考えてしまった、娘のこのごろでした。
卒園以来元気がありません。
卒園の前から悲しそうでしたけど、いよいよ現実のものとなって喪失感全開。
テレビで何か見ていて「あっ、こういうの〇〇ちゃんが好きなんだよ。明日教えてあげよう・・・・もう会えないんだった・・・(ベソ1)」
なにかの名前を私に教わって「へえ、これってそういう名前なんだ。明日△△ちゃんに教えてあげよう・・・もう会えないんだった・・・(ベソ2)。もっといっぱい遊んだりお話しとけばよかった・・・(ベソ3)」
・・というありさまで、プチうつ状態です。
小学校が楽しみでないわけではないのですが、小学校は6年間お兄ちゃんがらみで何回も何回も行っていて、別におもしろそうな遊具があるわけでなし、じっとすわって勉強しなければならないみたいだし、何よりも一人でテクテク歩いていかないといけないし、大好きなお弁当でなくて給食だし・・というわけで、あまり期待のネタがないようです。お兄ちゃんが在学中ならそれも楽しみだったでしょうけど、今やお兄ちゃんは、小学校よりはるかにうちに近い中学に通っていて、これから朝は自分の方が早起きだと思うと、面白かろうわけがありません。
行きだしたら行きだしたで楽しいことも多いとは思うのですけど・・・。
それはともかく、娘のこのプチうつ状態、お友だちと死別したわけでもあるまいに・・とちょっと思い、でも待てよ、と考え直しました。
現実的に考えると、娘のいた幼稚園のお友だちはいくつかの校区からバスで通ってきていたので、たとえ近くの子であっても小学校が違えばこれ以降なかなか会うことはありません。まして、遠くの子とはもしかすると一生会うことはないかもしれない・・。
大人になると、実際に会う機会がなくなったとしても、電話(特に携帯電話)やインターネット等々を通じて、即連絡はとれるので、離れ離れになった誰かと音信を保つかどうかというのは本人の意思次第ということになります。
これは、いまや、小学校卒業でもほぼ同じことで、卒業に際して先生やお友達とメールアドレスや携帯番号の交換というのはごく普通に行われていて、そうすると、純粋に「卒業したらもう会えない」とガックリくるのは幼稚園くらいなのかもしれません。
一人二人の仲良しさんなら今後も親の協力のもと、音信を保っていくことはできますけど、クラスのたくさんのお友だち、あるいはクラス全体の雰囲気となると、これはもう戻ることの出来ない過去であるわけなので、いささかかわいそうではありますが、ここはベソでもなんでもかいて気持ちの整理をつけてもらうしかありません。
ちょっと前(といっても何十年ということになりますけど)、少なくとも各家庭に一台黒電話がデンとあったころまでは、やっぱり「別れ」は「別れ」として存在していたように思うのですけど、今は極端なことをいうと死なない限り、決定的な別れはなく、どこかでつながっています。
昔のすぐれた作品には、文学であれ絵であれ音楽であれ、惜別の情を表した名作が数限りなくありますが、そんな作品を現代の私たちはどこまで心で感じ、受けとめているのか・・・
・・・そんなことを考えてしまった、娘のこのごろでした。
