今朝の新聞のコラムに「目のやり場に困る」とか「手のやり場に困る」とかいう話があって(内容そのものは、受動喫煙の話だったのですが)、それを読んでいるうちにふとヘンなことを思い出しました。

今でこそ私も、こんなテキトーな人間になってしまい、およそ自分の外見には無頓着なんですけれど、10代末から20代のころにはヲイヲイというくらい自意識過剰な時期もあったのでございます。ザクッとまとめると、カッコつけってことなんですけど。
大学生のある日、学校に行く電車の中で友人と会いました。何かたぶん話したのですけど、内容は全然覚えてません。お互いオサレな時期で、ただ学校に行くだけなのにお化粧バッチリ、服もそれなり、電車でも立ち姿も気になって仕方ない。手はこの角度でいいか、脚はクロスさせるのか、顔はどの角度を見せるか・・・・今考えるとアホでしかないですけど、お互いそういう気配を感じるわけです。自意識でグルグル巻きにされてマネキン状態(爆)。
あれはなんだったのか?と今となっては思うのですけれど、当時はそれはそれで真剣ですし、神経症一歩手前なくらいなにもかもが気になったりするわけです。
そういう時に、特に気になるのは「目のやり場」と「手のやり場」。
だいたい視線というのは、難しいもので、たとえば話し相手の目をまともに見続けるのか、ちょっと外すのか、口元くらいを見るのがいいのかいろいろあると思いますし、ケースにもよると思います。手も迷うところです。食事のときの使ってないほうの手とか、会話中のポジションとか。
でも、ふだんはいちいちそんなことを気にして暮らしているわけではなく(気にしておられる方もいらっしゃるかもしれませんが)、一種緊張を強いられる場面のときにたちまち気になり始めることが多いと思います。
たとえば、上司と食事をするとか、つきあいはじめて日の浅い恋人と食事するときとか・・。

楽器を演奏するときも、一種緊張の場ですけど、普通は演奏に必死なので、ヒマな手をどうしておこうとか、今は視線をどこに決めようとか、いちいち考えることはないと思います。
ただお客さんの方は演奏者だけ(とくにソロの場合)を見ているわけで、たまに演奏からちょっと気持ちが離れたりすると、ヒマにまかせて(殴)、演奏者の手の動きだとか、視線の方向だとか、表情だとか、脚の動きだとか、髪型だとか衣装だとか、曲が長ければ長いほど丁寧に見てしまうわけです。これだけジトっと多くの人に見られることってないです。そう考えれば考えるほどアガッてしまうのも仕方ないことではあるのですが、逆にそうであれば、こちらも丸腰で出るよりは、ある程度のことを想定してヒトサマの前に己をさらすほうがいいはずです。やはり「受けて立つ」くらいの構えがないと、広いステージ&会場ではつぶれそうになります。
思春期以降急に「あがることが増えた」とかいうのは、そういう自意識がかなり邪魔をしているんでしょう、きっと。

ただ、そこを通りこして、丸腰けっこう、裸けっこう、なんでもやりまっせ、捨てるもんはございません・・・もアリです(爆)。
・・・・今の私は、これに近いな、かなり(殴)。