また遊んでばかり・・と言われそうだが、また遊んだ。
昼前からサークルのお仲間(いちおう主婦ばかり)が3人来訪。夕方まで弾いたり、DVD見たり、しゃべったりしていた。

今日は全然目的がなかったわけではなくて、3人6手の連弾の練習をやらなくてはならなかったので、その初合わせもあった。
3人は私を含めた3人なのだけれど、実は私、3人6手をまともにやるのは初めて。
感想は・・・
狭いっ!!
曲は「カルメン前奏曲」と「猫ふんじゃった(M先生による編曲)」なのだが、「猫」のほうはゆったり弾けるし、うまい具合に手もぶつからないように出来ているのだけれど、「カルメン」の方はすごい。互いの手の3度くらい下を別の手がはっているような状況頻出で、ぴったりくっついてすわると身動きとれないし、離れて座ると姿勢に無理が生じる。たぶんこれは動きの向きも合わせてスペースを最小限に抑えねばならないのだろう。
以前、東京でベートーベンの交響曲第9番第4楽章を3人6手で弾いているのをみたことがあるのだが、この時は身体をハスに入れ違えるようにして弾いていた。
ピアノ弾きというのは、ふだんのびのびと空間を使っていて、たまには逆に空間が大きすぎて、身の置き所に困るような落ち着かなさに襲われるものだが、さすがに3人並ぶと自分の横幅を気にしいしい「お詰め合わせの上、おかけください」という満員電車さながらだ。
まだ譜を読み始めて1週間なのだが、うまくポジションをとって「狭いながらも楽しい我が家」状態にもっていきたい。



うちにはいろいろなお客さまが来られるのだけれど、主婦が4人集まると、ピアノそっちのけで家事(特に食事など)の話になる。
今日はなんのきっかけからだったか、ごはんは軟らかめが好きとか、硬めが好きとかいう話になり、うち一人は実家は「ガリリ」とくるほど硬いごはんの家なのに、嫁ぎ先は「おかゆ一歩手前」のような軟らかいごはんのうちなのだ・・という話になった。
である時、その「おかゆ一歩手前」のごはんでリクエストによりチャーハンを作ったところ、これはそもそもムリな注文で、出来上がったのは、フライパン底に固まった糊だか餅だかのような物体だったという・・・・嫁というものも楽ではない・・・というオチに至った。

実は1週間ほど前、少し若いお勤めの方々をお招きしたときも、チャーハンの話は出た。というか私が出した。
それはどういう文脈でかというと「アルペジオって、それぞれの音は粒立ちよく、相互には決してバラバラでなく・・なんというかチャーハンの米粒のように弾きたいんだよねえ」という流れで出た話だったのだが、今日の話で、やっぱり米粒そのものが水分多くベロベロだと、結局いくら熱やらなんやら加えても結局は「餅状」になるのだよねえ・・とヘンなところで「一音一音の質の大切さ」に納得したことであった。

人間、身近なものに置き換えると理解が進むことがあるのだけれど、そういえば某先生は「鍋のふたをいきなり開けない(唐突な音量音色の変化を指してのことだったような記憶が・・)」とか、「熱い鍋に触った時のように(指先での瞬時のタッチについて)」とか、かなり台所周りのたとえが多く、大変楽しませていただいたし、いまだにそういう部分が出てくると、「そういえば、こういう注意を受けたことがあるなあ」と思い出す。

「音の粒立ちがいい(あるいは悪い)」という表現を時々耳にするのだけれど、どうしても「粒」というと米を連想してしまうのは主婦の性か?
西洋音楽をやっていていかがなものかとも思うのだけれど、もしかすると米と同じくらいの数の音符を日々弾いているかもしれず・・・これはもチャーハンでもおにぎりでもリゾットでも、なんでもこいの米粒(音粒)達人になりたいものだ、と思うばかりである。