書類などの片付け作業のBGMに、午後2時からFMをかけっぱなしにしているのだが、これがすごいことに途切れることなくクラシック番組だ。
子どもの頃からトータルすると、ものすごい量のクラシック音楽をFMで聴いているはずであり、特に学生の時はテレビがなかったせいもあり、録音しつつ聴いていてカセットもかなりたまった。
論文を書いているときだったか、徹夜明けで朝一番の番組を聴いていたら「水にちなんだ音楽」ということで、ドビュッシーの「雨の庭」や「水の反映」、ラヴェルの「水の戯れ」等がかかり、ぼんやりした頭にラヴェルの硬質できらめくような音はことに強く印象に残った。

思い出話はさておき、さきほど聴いた番組「きままにクラシック」のリクエストコーナーで次のような内容のものがあった。
<夏の夕暮れ時、グールドの(遅い方の)「ゴールドベルク変奏曲」を聴いていたところ、ひぐらしがそのテンポに合わせるかのようにゆったりと鳴いていた。とてもなごんだので、ぜひ番組でも暑気払いがてら再現してください>
実際、ひぐらしの効果音を入れて音楽が流され、司会の方々は「ああ、いいですねえ、癒されます」といった反応だったのだが・・・・
私には、この遅い「ゴールドベルク」が映画「羊たちの沈黙」のレクター博士を、「カナカナ」というひぐらしの声がホラーチックな某アニメを思い起こさせ、別の意味で十分な暑気払いとなった。
なにも記憶と結びつかなければ、癒しのひとときになったと思うのだが、時として作曲者のあずかり知らないところで、音楽が強烈な使い方をされていて、その呪縛から逃れられないことはよくある。

まだ20代の頃のことだけれど、ひところホラー映画にハマッていたことがある。これの何が怖いって、人の良さそうなニコニコした隣人が実は妄想に支配されていたとか、凄惨なシーンでヨハン・シュトラウスのワルツがかかるとか、そういうギャップが恐ろしい。こういう経験をすると、明るい長調の曲を聴いても「ほんとにこの曲明るいのか?」と素直になれない人間になる(泣)。

まあもともと音楽そのものが、「長調」「短調」ときっちり分けられたものでもなく、あまたの旋法のなかから、クラシック音楽のジャンルにおいて「長調」と「短調」がメジャーなものとして使われているだけなのだ。グリーグの「人生は民族音楽に似ている」ではないが、人の感情というものはそう「長調」「短調」と割り切れるものではないのだし。

そういう意味では、夕方にあった番組「現代の音楽」は大変おもしろく聴いた。
邦人の現代音楽は、打楽器とか和楽器、人の声が多用されるように思うのだけれど、反復したり引き返したり、整理がついたと思ったとたんに混沌となったりする人間の生活や感情は、こういう音楽の方が随分近いような気もする。



・・・・とりとめもなく「ながら作業」の日曜の半日だった。