今日(日付が変わったので正確には昨日)は午前午後と出かけた。

午前はあるコンクールの子ども部門を聴きに、
午後は地元のオーケストラの定演(優秀な子どもたちのコンチェルトの演奏がある)を聴きに、
この暑い中、電車とバスで結構移動した。

コンクールのほうは課題曲がなかったので、さまざまな曲が弾かれたのだけれど、「弾けてない」(指が回ってないとか、曲がわかってない)のは論外として、結局は「楽器が鳴っているかどうか」が問題だと思った。
私が聴いたのは小学校5&6年生だったのだけれど、一番うしろの席で聴いていると、通りの良い音で届く子とそうでない子にはっきり分かれていて、これは結局聴くほうとしてはどう感じるかというと、鮮度というかリアル度がまるで違う。極端な例えをすると、空気中で聴くのと水中で聴くくらいの差がある。
打鍵方法(脱力など)だとか、緊張の度合いだとか、どのくらい曲を弾きこんだとか、いろいろ理由はあるのだろうが、コンクールはだいたい広い会場で開催される場合が多いので、自分が弾かない演奏会の時などに、いろんな席で聴いてみて(バタバタ移動してはいけませんよ・・当たり前ですけど)、だいたい審査員がすわるあたりにはどのくらいの音量でどんな風に聴こえるのかをチェックしてみるのもいいかもしれない。
そうはいっても私自分のことを振り返ってみると、そんなことを考えはじめたのはごく最近のことで、子どもの頃は、コンサートなどでは<前の方の席で見る>のがいいのかと思って、舞台そばにはりついていたし、聴くところといったら、指が間違いなく回るだとか、迫力があるだとかそんなことばかりだった。
大人になってから、調律師の方たちと話してコンサートグランドの特徴を考えたり、ホールの残響時間だとかそんなことを気にかけるようになったわけで、今さらの感はあるのだが、そういうことを考え出したら、やっとこの年になって<音そのもの>について注意を払うようになった。楽器というのは自分の身体の一部がごとくに自由に操るのが理想である一方で、それを目指せば目指すほど距離を感じて遠くからも音を聴かなければならないところが難しい。
たぶんそういうことに早く気付いた子(なかには生まれながらにわかっている子もいるだろうが)が、頭角を現してくるのだと思う。


午後のコンチェルトは前半はピアノコンチェルト(一楽章ずつ)が3曲、マリンバが1曲、後半はバイオリンコンチェルトが3曲、最後にゲスト演奏でドッペルコンチェルトだった。
ゲスト以外のソリストは小学校5年生から大学4年生まで。
実は私、一昨年もこの演奏会を聴いたのだけれど、今年はオケもソリストも前に増して大変すばらしかったと思う。
バイオリンの中の一人の方は、たまたま一週間くらいまえに某所で演奏を聴いたのだけれど、今日はその時とは別人かと思うくらい(失礼・・)、音も伸びて、フレーズも大きく生き生きとして、う~んこれは、ラストスパートのおかげなのか?それとももしや楽器が変わったのか?それとももしやあのあと入魂のレッスンでも受けられたのか?と頭がぐるぐるしたのであった。いずれにしても一週間でこれだけ変われるのだからすばらしい。若さならではのことであろうか・・。

ピアノもバイオリンもほんとにみなさんお上手なのだ。私などがどうこう言えるレベルをはるか超えている。だが、音についてはいわゆる「抜けた音(抜け落ちた音ではありませんよ・・)」かどうか、「その人独自の音」を持っているかどうかは多少差があったような気もする。みなさんお若いので当たり前といえば当たり前だし、それだけにこれからが楽しみなのだが。
そのあたり「おおっ、さすがです!」とひれ伏したのは、やはり最後のゲスト演奏(長原氏と辻本氏)。ブラームスのドッペルコンチェルトを生で聴いたのは初めてのような気がする。コンミスは長原氏の奥様で、この方のすばらしさは3月の室内楽のフェスティバルでも感じたのだが、今日も細身の体をしならせて大きなフレーズでぐいぐいとオケをひっぱっておられた。ソリスト2人とコンミスのオーラでもって全3楽章一気に聴かせていただいた(・・といっても、一楽章の終わりに思いっきり拍手があったが・・・)
バイオリンとチェロの掛け合いは時には拮抗するように、時にはともに同じラインをなぞるがごとく。アンサンブルについてはここのところいろいろ考えたりもするのだけれど、今日の演奏を聴いて、「合うときには、音の質量から圧力までぴったりなのだな」とびっくりした。すごすぎる

・・・・まことに<プロフェッショナル>なひとときでございました。