昨日の転妻よしこさまの日記には、死ぬほど笑わせていただいた(本日も関連記事あり)。
出先で携帯からのぞいていた私は、中国語の「黒桃女王」の文字を目にしたとたん、モンゼツの憂き目に遭った。
しばし考え、これは「チャイコフスキーの<なんとかの女王>という曲であろう」とは思ったのだが、<黒桃>が<スペード>を表している・・と気付くのにしばしかかった。
それにしてもこの黒桃のアヤシイ語感はどうだ!?
日本語でいう時の「桃」とはもちろん、ある果物を指すわけではあるけど、同時にその色合いの「桃色」といったイメージが強い。
「桃」ときいて「え?何色の?」と考える人はまずいないと思う。
そういう色の要素が強いこともあって、ちょっといかがわしいニュアンスで使用されたりすることもあるわけだが、
それにしても、たとえば「桃尻娘」とか「桃色遊戯(こんな言葉が昔あったような気がする・・)」の頭に<黒>とかつけてみた日には、これはもうエログロナンセンスを超えている。
「黒桃女王」のいかがわしさは、桃をたんに<形>としてとらえられない日本人の哀しさ(爆)と無縁ではないと思う。
ところで、昔から日本で、「桃」がそういうイメージだったのかというと、たぶんそうでもないのではないかと私は思う。
たとえば上記にある「桃尻」だが、これに「娘」が続くとまたちょっと違う雰囲気なのだけれど、元来は
「(尻が桃の実のように座りが悪い意から)馬に乗るのがへたで、鞍の上に尻が落ち着かないこと」という意味なのであって、
古文でいうところの「桃尻」には「・・・侍」と続く方が、自然な語感だったように記憶している。
そうすると、これはどう考えても「形」としての「桃」なんであって、ピンクのケツの侍を連想するわけにはいかない。
それともうひとつ不思議なのは、「桃」→「座りが悪い」というイメージが今はおきにくいことだ。昔の桃は、もしかすると、もうすこし小粒で硬く、どうやっても転がってしまうような形状だったのかもしれない。
このあたり、ここを読んでくださっている方の中には、私などよりはるかに詳しい専門の方々がおられると思うので、なにかご存知のことがあったら、どうか教えてくださいませ。
出先で携帯からのぞいていた私は、中国語の「黒桃女王」の文字を目にしたとたん、モンゼツの憂き目に遭った。
しばし考え、これは「チャイコフスキーの<なんとかの女王>という曲であろう」とは思ったのだが、<黒桃>が<スペード>を表している・・と気付くのにしばしかかった。
それにしてもこの黒桃のアヤシイ語感はどうだ!?
日本語でいう時の「桃」とはもちろん、ある果物を指すわけではあるけど、同時にその色合いの「桃色」といったイメージが強い。
「桃」ときいて「え?何色の?」と考える人はまずいないと思う。
そういう色の要素が強いこともあって、ちょっといかがわしいニュアンスで使用されたりすることもあるわけだが、
それにしても、たとえば「桃尻娘」とか「桃色遊戯(こんな言葉が昔あったような気がする・・)」の頭に<黒>とかつけてみた日には、これはもうエログロナンセンスを超えている。
「黒桃女王」のいかがわしさは、桃をたんに<形>としてとらえられない日本人の哀しさ(爆)と無縁ではないと思う。
ところで、昔から日本で、「桃」がそういうイメージだったのかというと、たぶんそうでもないのではないかと私は思う。
たとえば上記にある「桃尻」だが、これに「娘」が続くとまたちょっと違う雰囲気なのだけれど、元来は
「(尻が桃の実のように座りが悪い意から)馬に乗るのがへたで、鞍の上に尻が落ち着かないこと」という意味なのであって、
古文でいうところの「桃尻」には「・・・侍」と続く方が、自然な語感だったように記憶している。
そうすると、これはどう考えても「形」としての「桃」なんであって、ピンクのケツの侍を連想するわけにはいかない。
それともうひとつ不思議なのは、「桃」→「座りが悪い」というイメージが今はおきにくいことだ。昔の桃は、もしかすると、もうすこし小粒で硬く、どうやっても転がってしまうような形状だったのかもしれない。
このあたり、ここを読んでくださっている方の中には、私などよりはるかに詳しい専門の方々がおられると思うので、なにかご存知のことがあったら、どうか教えてくださいませ。
