こどもの時は、「バッハ大好き」という友人はあまりいなかったのですけど、
大人になってバッハの好きな人、ただ好きなだけでなく自分でもよく弾いている知り合いが増えました。
これはまあ、簡単にいうと年をとっていわゆる「良さ」がわかるようになったからなのでしょうけど、私は、バッハは好きでも嫌いでもないので、まだピンときていないところがあるのだと思います。
子どもころはもちろん2声と3声インベンションを1番から15番まで、何度も何度も弾かされて、これはもう好き嫌いの問題ではなく、漢字ドリル計算ドリルのような「基本」でした。
大人になって一人で平均律を弾き始めて、やっと1巻の22番(1番から順番にやりましたので)まできましたけど、相変わらずわかったようなわからないような感じです。
バッハを弾く時に子どもころからいつもいつもいわれてきたことは「テーマを出す」ということなんですけど、これが長い間ピンとこなかった。
というのは、フーガというのは、たしかにあるモチーフがいろいろな声部でそのままでてきたり、バリエーションが加わったり、それに対する旋律が登場するわけですけど、「テーマ」たって、「はいここからここまで」といって区切れるようなものではなく、ずーっとずーっと続いていて、その連綿たるところがフーガのいいところなんだし、テーマばっかりだしたってつまんないじゃん・・と、そう思い続けてきたわけです。もっとも、今考えると、技術的にテーマすらきちんと出せない状態なのになにをいう・・・なんですけどね。
その疑問がちょっとだけ解けたのはですね、ある天才少女が2~3年前にテレビでバッハのハ短調パルティータのシンフォニアを弾いてるのを聴いたときでした。
彼女、たぶんまだそのとき9歳だったんじゃないかな?
テーマとか、声部とかそんなケチ(?)なもんじゃなかったです。
別々の人間がそれぞれの歌を最後まで歌い続けてるように聴こえました。
これをもっと普通の言い方をすると、それぞれの声部でずーっとある旋律が続く時(かならずしもテーマとは限らない)、かならず、抑揚というか声をひそめたいところとか、盛り上げたいところがあるわけですが、これを10本の指の中で巧みにやるわけです。
さらに単純な言い方をすれば、右が盛り上がっても左のある指はひっそりとしてるとか、左手は興奮してても、右は落ち込んでるとか、まあそういうことが同時に一瞬にして出来てるわけです。
画像つきで見たこともよかったのかもしれませんけど、先生方から何年も教えられてもピンとこなかったことが、彼女の演奏で「おおっ!」ときました。
だからといってそれが出来るようになったかといわれれば、それはまだまだというか(・・・永遠にというか・・・)とてもとてもなんですけど、
少なくとも、機械的に「これは主たるモチーフ、それが対旋律」みたいに考えることはしなくなりました。ほんとは、対位法というものは、それをきちんと分析しなければならないのでしょうけど、おそらくそういう学問的な演奏はたくさん聴いてきたはずなのに、9歳の少女の演奏ほど腑に落ちなかったので、たぶん私の理系全滅頭ではちょっと難しいのかもしれません。
譜面を読む努力もしていることはしているのですが、たとえ3声であっても内声を独立して弾けるようになる(あるいは、弾きながら真ん中の声部だけを歌う)ためには、ハンパな量の練習では不可能です、少なくとも私には。
・・・・というわけで、外面的には、「弾いて弾いて弾かされた」子どもの頃の練習光景とまったくなにも変わっていないのでした・・・
大人になってバッハの好きな人、ただ好きなだけでなく自分でもよく弾いている知り合いが増えました。
これはまあ、簡単にいうと年をとっていわゆる「良さ」がわかるようになったからなのでしょうけど、私は、バッハは好きでも嫌いでもないので、まだピンときていないところがあるのだと思います。
子どもころはもちろん2声と3声インベンションを1番から15番まで、何度も何度も弾かされて、これはもう好き嫌いの問題ではなく、漢字ドリル計算ドリルのような「基本」でした。
大人になって一人で平均律を弾き始めて、やっと1巻の22番(1番から順番にやりましたので)まできましたけど、相変わらずわかったようなわからないような感じです。
バッハを弾く時に子どもころからいつもいつもいわれてきたことは「テーマを出す」ということなんですけど、これが長い間ピンとこなかった。
というのは、フーガというのは、たしかにあるモチーフがいろいろな声部でそのままでてきたり、バリエーションが加わったり、それに対する旋律が登場するわけですけど、「テーマ」たって、「はいここからここまで」といって区切れるようなものではなく、ずーっとずーっと続いていて、その連綿たるところがフーガのいいところなんだし、テーマばっかりだしたってつまんないじゃん・・と、そう思い続けてきたわけです。もっとも、今考えると、技術的にテーマすらきちんと出せない状態なのになにをいう・・・なんですけどね。
その疑問がちょっとだけ解けたのはですね、ある天才少女が2~3年前にテレビでバッハのハ短調パルティータのシンフォニアを弾いてるのを聴いたときでした。
彼女、たぶんまだそのとき9歳だったんじゃないかな?
テーマとか、声部とかそんなケチ(?)なもんじゃなかったです。
別々の人間がそれぞれの歌を最後まで歌い続けてるように聴こえました。
これをもっと普通の言い方をすると、それぞれの声部でずーっとある旋律が続く時(かならずしもテーマとは限らない)、かならず、抑揚というか声をひそめたいところとか、盛り上げたいところがあるわけですが、これを10本の指の中で巧みにやるわけです。
さらに単純な言い方をすれば、右が盛り上がっても左のある指はひっそりとしてるとか、左手は興奮してても、右は落ち込んでるとか、まあそういうことが同時に一瞬にして出来てるわけです。
画像つきで見たこともよかったのかもしれませんけど、先生方から何年も教えられてもピンとこなかったことが、彼女の演奏で「おおっ!」ときました。
だからといってそれが出来るようになったかといわれれば、それはまだまだというか(・・・永遠にというか・・・)とてもとてもなんですけど、
少なくとも、機械的に「これは主たるモチーフ、それが対旋律」みたいに考えることはしなくなりました。ほんとは、対位法というものは、それをきちんと分析しなければならないのでしょうけど、おそらくそういう学問的な演奏はたくさん聴いてきたはずなのに、9歳の少女の演奏ほど腑に落ちなかったので、たぶん私の理系全滅頭ではちょっと難しいのかもしれません。
譜面を読む努力もしていることはしているのですが、たとえ3声であっても内声を独立して弾けるようになる(あるいは、弾きながら真ん中の声部だけを歌う)ためには、ハンパな量の練習では不可能です、少なくとも私には。
・・・・というわけで、外面的には、「弾いて弾いて弾かされた」子どもの頃の練習光景とまったくなにも変わっていないのでした・・・
