本日まとめ撃ち、二つ目です。

10日に、H先生にレッスンを受けました。
受ける受けるといっていたのに、その後なにも書いてないので、「いったい受けたのか?受けてないのか?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、たしかに受けました。
これが、ものすごく内容が濃いというか深かったので、その後1週間考え続けていました。

曲はブラームスの「主題と変奏 ニ短調(弦楽六重奏第1番第2楽章のピアノ編曲版)」

私以前、H先生のブラームスを聴いたことがあります。
たしか作品10のバラードだったと思いますが、自然界のいろいろな音(海や風など)や人の声のようなものが聴こえてきたように思えて、戦慄が走りました。
そういう深いブラームスを弾かれる先生に、私のようなド素人がブラームスをのこのこ持参するのは、身のほど知らずと思っていましたけど、どうしても先生に聴いていただきたかった。

この曲、技術的にも易しくはないです。音域は広いし、和音は厚いし、譜読みの段階でまず相当苦労しました。
練習もしましたし、考えつくしましたけど、私のオツムの限界に達してまして、もうこれ以上の知恵は浮かばない。
H先生、技術的な面では、
ハーフペダルを使いながら音を切れないように続ける方法とか、
低音を維持する方法とか、
弦楽器の弾き方をそのままピアノで真似するのではまずい部分の処理の仕方とか、
私にとっては高度なテクニックを教えてくださいましたけど、
それは、ここ1週間で、練習したり、納得したりして、なんとなく身につきつつあるような気がします。

問題はですね・・・

精神面の話でして、私が今まで考えたことも試みたこともない<次元>での指導を受けたわけです。
私の演奏がこれまで「感情」とか「心理」そういうものに支配されていたとしたら、さらに深部というか高次というかの「不変なるもの」とか「真理」とかの領域の話だったような気がするわけです。
正直いいまして、私は「不変」とか「真理」が苦手でして、よってなんとなく哲学とか物理とかそういうものに見向きもしないし、同じ理由でバッハは恐ろしいです。

古くヨーロッパでは「宇宙の真理」として、数学や音楽が同列の学問として扱われていた時期もあるようで、そういうことは聞き知っていましたけど、そういう領域のことはなるべく考えないようにしていました。
が、今回のレッスンでそれに直面させられた気がします。

もちろんH先生は、そういう「用語」でもってレッスンを進められたわけではないのですが、総合すると
・・・私の演奏は、強弱にしても表現にしてもどうもすべて「外に向かって放出」されていて、どっしりと存在する自己の内面深くに取り込まれた末に、自然と醸し出されているようなものではない・・・・・・というようなことになるようです。
先生は「強弱を外に向かって出している」とか「あなたはまだ鍵盤を弾いています」とか「裏の拍をちゃんと聴いてません」とかおっしゃってましたけど、
これらは、最近、私がピアノに向かうときに感じていた違和感というか至らなさを言語化されてまして、これをなんとかするということは、弾くというより、自己改革に近いことでもあるので、時間をかけて考えていこうと思っています。

ブラームスもそうなんですが、最近バッハを少し弾いてまして、どうも曲の内容に自分がふさわしくもないし、弾けば弾くほど、自分の中身のなさを露呈するようで困ります。(ゲゲゲはまた別問題ですが・・・・・)

すぐには無理だし、もしかすると一生無理かもしれませんけど、精神的にも少し高次を目指してやってみたいと思っています。