某区民文化センターで、友人の所属するアマチュア弦楽合奏団の演奏会を聴いてきた。
前半が名曲シリーズ、後半がイギリスの作曲家ということで、後半に非常に興味があったのだが、
全部聴くと子供二人が空腹で発狂すると思われ、前半だけ聴いて帰ってきた。

<前半プログラム>

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」より第1楽章(モーツァルト)
「G線上のアリア」(バッハ)
「アニトラの踊り」(グリーグ)
「亡き王女のためのパヴァーヌ」(ラヴェル)
「カヴァレリア・ルスティカーナより間奏曲」(マスカー二)
「リュートのための古風な舞曲とアリア」より第3組曲(レスピーギ)

いずれ劣らぬ名曲ぞろいだ。
この中で私が個人的に関心があったのは「アニトラの踊り」と「亡き王女のためのパヴァーヌ」。
「アニトラ」は連弾で、「亡き王女」はソロで弾いたことがあり、どちらもほんとに苦労した。なにで苦労したかというと、弦楽でやるところの「ピチカート」でだ。
「亡き王女」のほうは、ピアノが原曲なので、なぜそこまで苦労を・・と自分でも思うのだが、ラヴェル自身の編曲でやはりピチカートが使われているとすれば、やはりそのイメージは見過ごすことができない。
ピチカートは音であって音でないように思う。音程を伴なった空気振動(すべての音がそうだと言ってしまえばそうなのだが)。
なので物理的にピアノでは難しい。いくらピアノを「弾く」といったって、それは「弾く(ハジク)」行為ではなく、「打つ」ことにほかならないからだ。

集団でピチカートをすると、音というより「うなり」が生じる。
たぶん、録音で拾いにくい種類の音だろうと思う。
「アニトラ」では、あたかも洞穴に反響するような、怪しげで隠微な雰囲気を生む。
「亡き王女」のほうでは、神殿の遺跡に風が通っていくような、遥かな時間を感じる。
どれだけこういった効果をピアノから出してみたいと願ったことだろう。
そういう意味で、今日の演奏をつぶさに観察しつつ、ちょっと嫉妬に近いものも感じていた。

それと、一気に頂上に向かう息の長いボーイング。これも羨望の対象だった。
オーケストラはよく見聴きしているつもりなのだが、どういうわけかオケの場合は管楽器や打楽器を見ている時間が長いようだ・・ということに今日気付いた。
考えてみれば弦楽器のみの集団の動きをじっと見ることなどあまりなかったのだ。

たぶんこういうお客は奏者にとってはイヤな聴衆かもしれないが、
大変勉強させていただいた。
レスピーギについても、いろいろ刺激を受けたのだが、長くなるのでこのへんで。