ベートーベンの『月光』終楽章が結構テンポがあがってきて、もうじき鼻血を噴けそうだ。
ソナタはもちろん「全楽章弾いてこそなにかがわかる」とは思っているものの、この終楽章は、『熱情』にも通ずるエネルギーが充満していて、興奮ぬきには語れない。

練習のあいまに、珍しく本棚から雑誌を取り出し眺めていた。
『ザ・ピアノ&ピアニスト』(読売新聞社 1992年)
なかにアシュケナージへのインタビュー記事があった。

「・・・・彼(ベートーベン)のエネルギーは常に精神に満ちていました。しかし初期には、素材自体のエネルギー表現とも結びついています。『熱情』は格闘です。『月光』の終楽章も格闘です。初期にはエネルギーの解放は格闘なのでした。
『ハンマークラヴィア』のフーガや作品101で感じるものは、格闘ではなく猛烈な推進力なのです。これらの作品では、推進力が精神的な解放となるのです。物質的なレベルの解決ではない。それが物質の成り行く道なのです。それが転調や音程が向かう方向なのです。中間のゆっくりした部分は祈りのようなコラールです。“もう物質は関係ない”とはっきり宣言している。表現の異なったレベルにある何物か、純粋なエネルギー・・・・そう、太陽からの放射のようなものです。物理学者が言うように、一方では物質の一形式なのですが、他方では純粋なエネルギーでもある。確かにそうだ、私にもいま解ったことだけどね。
『熱情』などでは、もちろん精神的なものもありますよ、でもまだ非常に多くの物質性がありました。ほとんど手で触れることだってできそうです。しかし、作品106(ハンマークラヴィア)のフーガにあるのは、純粋なエネルギーだけです。真っ白だが熱いエネルギー。触れるなんてできない、それが私を惹きつけます。そこには彼の精神の一部分をとても強く感じます。・・・・」


後期のソナタに私が寄り付くこともできず、喜々として『月光』終楽章や『熱情』を弾いているのは、つまり私が
格闘系物質性ぴあの弾き
だったからなのだ!!

そういえば、昨日塾の保護者会でも、先生がこんなことをおっしゃっていた。
「これから5年生の理科は、<手に触れたり、見えたりしないもの>つまり物理系が増えてきます。これは入試に大変重要なジャンルなんですが、女の子さんには苦手な方も増えてきます」