先日楽器店から無料の情報誌<ぶ○○ぼ>をもらってきた。
ヒマな時間にこれをすみからすみまでなめるように読むのが私の趣味のひとつなのだが、10月号にも大変興味深い記事があった。

すでにご存知の方もおられるかと思うのだが、現在、かつて約半世紀にわたってホロヴィッツが自宅で練習に使っていた愛器が「来日」している。
このスタインウェイについて、それからホロヴィッツについて、現在の松○楽器の代表取締役の方が語っておられる記事である。

83年の来日公演については、実際聴かれた方、映像を見られた方、噂だけを聴いておられる方、さまざまだと思うのだが、あの頃の病状(服薬の状態)についても結構今はオープンにされているので、本来のホロヴィッツの調子ではなかったのだということは、だいたい定説となっているのではないかと思う。

興味深いのは、その演奏について他のピアニストはどう感じていたかということ。
以下は、記事からの抜粋。

「85年の暮れにマルタ・アルゲリッチとミシェル・ベロフのデュオのコンサートがあったのです。・・・・・・・・終演後に皆で六本木の寿司屋で打ち上げをやることになったのです。・・・・・・・アルゲリッチの話が直前に聴いたシャンゼリゼ劇場でのホロヴィッツの話になり、それがとても素晴らしかったというので、話が自然と2年前の“ひびの入った骨董品”云々の話になって、その放送の録画がたまたまその寿司屋にあるのを知ると、マルタが急に観たいと言い出したのです。初めは『敬愛するホロヴィッツがこんなにも惨めになってしまって!』と言って涙を流していたのが、そのうちに、ここが凄いあそこも凄いといって食い入るように観ていたのですね・・・」

その姿があまりに印象的だった松○氏は、さっそくハンブルグのスタインウェイに電話を入れて、今後ホロヴィッツが弾くようなことがあったら、世界中どこでも飛んで行くからチケットを必ず手配してくれと依頼したそう。
その後しばらくしてハンブルグでホロヴィッツのコンサートがあり、松○氏は飛んで行かれた。「本当に彼は蘇った。アルゲリッチの話は嘘ではなかった。これは奇跡だ」と実感されたそうなのだが、果たしてその会場にはパリから駆けつけたアルゲリッチの姿もあった。

この後帰国して、松○氏は、音楽事務所の梶○氏に何回も話をし、やっと再来日が決定するのだった。(83年の来日のリベンジをホロヴィッツは望んでいたのだが、当時日本側はどこも受け入れようとしなかったらしい)

このエピソードを読むと、やはり舞台に立つアーチスト同士、天才同士というものは、一般聴衆や評論家とは違う観点から見、聴いているのだなと思う。
「ここが凄い、あそこが凄い」ということが感じられるのも、至高の芸術家だからなのであって、ミスや緊張や不調に隠された部分を聴き取る能力もおそらく尋常ではないのだと思う。
きっと「本質をつかまえる」というのはそういうことなのだろう。
そして、このアルゲリッチの涙と賞賛のおかげで、ホロヴィッツの再来日もかなったのだとしたら、ビデオをさっと取り出した寿司屋の店主にも感謝せねばならないと思う。